カラマーゾフの兄弟
『他人は変えられないが自分は変えられるという言葉がある。それはある意味ではその通りであるがこの『自分を変える』という行為もまた困難を伴うものである。簡単に自分を変えることができれば苦労はしないし、変れない駄目な人間なんだと思い悩む人も少な…
今回は考察と言うよりは小ネタ的な感じなので短めに。 私は2017年の紅白歌合戦のパフォーマンスを見てから欅坂46(現:櫻坂46)が好きになり、彼女たちの楽曲をほぼ毎日聴くようになった。メッセージ性の強い歌詞と曲、彼女たちの曲を届けるためのパフォーマ…
『カラマーゾフの兄弟』の中で、主人公アリョーシャは様々な人のところを訪れる。ミーチャの婚約者カテリーナ、父であるフョードル、待ち伏せしていたミーチャ、幼馴染の少女リーズ、次兄のイワン、二等大尉のスネギリョフとその子供イリューシャ、毒蛇同士…
最近、岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読み終えた。岡本太郎と言えば『芸術は爆発だ』という名言と、大阪万博の『太陽の塔』の人というイメージしかなかったのだが、読んでいくと今の時代にも通じることがいろいろと書かれており、自分自身のこれまで歩…
ここ一か月ぐらいうだる暑さと仕事のストレスと自身の体調不良でブログを更新する気力をすっかり無くしていた。そして先延ばしにすればするほどやる気と言うものが削がれていき、次第に面倒になっていく始末である。考察ネタもいろいろと書きたかったのだが…
先月『未成年』をようやく読み終えたのだが、その中で主人公アルカージイの実父ヴェルシーロフがこんなことを言っている。 「人々をそのあるがままの姿で愛するということは、できないことだよ。しかし、しなければならないことだ。だから、自分の気持ちを殺…
『カラマーゾフの兄弟』においては『実行的な愛』という言葉がしばし出てくる。この言葉が最初に出てくるのは『場違いな会合』にて、娘のリーズとともに修道院にやってきたホフラコワ夫人と、ゾシマ長老のやり取りである。ホフラコワ夫人は『来世』というも…
臨終の間際、ゾシマ長老はアリョーシャにこう語っていた。 「お前はこの壁の中から出ていっても、俗世間でも修道僧としてありつづけるだろう。大勢の敵を持つことになろうが、ほかならぬ敵たちでさえも、お前を愛することになるだろうよ。人生はお前に数多く…
私が『カラマーゾフの兄弟』という作品に出会ったのは昨年の五月末だった。以前も触れたがドストエフスキーは名前こそ知っていたもののまともに読んだことはなく、おそらく一生手を出すことはないだろうと思っていた。しかし当時読んでいた読書術的な本に『…
「お互いにしらを切りやがって。嘘つきめ! だれだって父親の死を望んでいるんだ。毒蛇が互いに食い合いをしているだけさ……父親殺しがなかったら、あいつらはみんな腹を立てて、ご機嫌斜めで家へ帰ることだろうよ……とんだ見世物さ!『パンと見世物』か。もっ…
スメルジャコフが自殺に至るまで、彼がフョードルを殺害してから『神秘的な客』ミハイルと同じように『生ける神』の手の内にあり『真の罰』を受けていたこと、彼を赦し、彼のために祈ってくれる『親切な人たち』の存在があったこと、だが彼自身が『親切な人…
前回『神秘的な客』(第6編2D)ミハイルが十四年間落ちていた『生ける神の手』が殺人者に対する『真の罰』であり、またスメルジャコフも同じく『生ける神の手』に落ちていたのではないかと考えた。この『生ける神』とは何者なのか。ただ罪人に裁きを与えるた…
わたしに圧倒的に足りないものは構成力だと思う今日この頃。 というわけで今回の記事もかなりの遠回りになる。前回の記事で『今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より』に収録された『神秘的な客』の事件がフョードル殺害事件に似ているということに触れた…
フョードル殺害後、スメルジャコフは本物の癲癇発作で倒れ、病院に入院することになった。事件の四日後、イワンと最初の対面をしたときのスメルジャコフの様子はこうだった。 最初の一瞥でイワンは、相手が完全な極度の病的状態にあることを、疑う余地なく信…
スメルジャコフは自身の出自に対してコンプレックスを抱いており、それが『神がなければすべては許される』という思想に本気で取り組み、フォードル殺害の動機につながった、というのが私の解釈である。スメルジャコフ自身もマリアに対してこんなことを言っ…
以前の記事でも『スメルジャコフは決して誰からも愛されなかったわけではない』といったことを書いたが、その理由は、彼の周囲にいる『親切な人たち』の存在にある。 「マルファ・イグーナチェヴナがわたしを忘れずにいてくれて、何か必要なものがあると、今…
前回の記事に引き続き、今回もスメルジャコフとアリョーシャの『関係』あるいは『交流』についての考察と私なりの解釈を述べていきたい。 部屋に入るなりアリョーシャは、一時間ちょっと前にマリヤ・ゴンドーラチェヴナが彼の下宿に駆けつけて、スメルジャコ…
最近今更King Gnuの『白日』を聴いている。聞けば聞くほど歌詞の内容がスメルジャコフっぽいと感じる。望まなかった誕生、イワンとの出会い、フョードルの殺害、そして自ら命を絶つまでの二か月。特にサビの『真っ新に生まれ変わって~』のくだりが、一番、…
ある日、何気なしにテレビを見ていたら、某俳優がこんなことを言っていた。 「つらいことがあった時、自分を励ましてくれるのは過去の自分だけだよ」 うろ覚えではあるが、確かこんなことを言っていた。この言葉で思い出したのが、『カラマーゾフの兄弟』の…
タイトルなんのこっちゃいと思われたかもしれないが、当ブログが目指したいスタンスというか『こういう方向性で記事を書いていきたいなあ』という方針についてである。決意表明というほどでもなくかなーり緩い願望ものではあるけれど。 どういうことかという…
アリョーシャがフョードル殺害の犯人についてどう思っているかを知らせるのは「あなたじゃない」(第11編5)から遡ること二か月前、イワンがモスクワから戻ってきたときのことである。 この町では最初にアリョーシャに会ったが、話してみて、相手がミーチャ…
『カラマーゾフの兄弟』の主人公、アリョーシャの幼馴染である少女、リーズ。前半は『リーズ』表記だが後半になるとどういうわけか『リーザ』表記になる。小児麻痺で足が悪く、いつも車椅子に乗っているこの14歳の少女は作中で『小悪魔』と言われている。理…
『カラマーゾフの兄弟』における『教唆』といえば、イワンが『父親殺し』をスメルジャコフに『唆かした』ことが挙げられるだろう。(でも私は個人的にイワンがスメルジャコフを『唆した』というのは少し違うんじゃないかとは思っている) 。しかし実は『唆さ…
わたしは作品を考察するにあたり、各登場人物を『生身の人間』として考えたいと思っている。『カラマーゾフの兄弟』でいえば、ミーチャ、イワン、アリョーシャ、さらにスメルジャコフ。『悪霊』のスタヴローギン、『白痴』のムイシュキン、『罪と罰』のラス…
今回のテーマは「あなたじゃない」についてである。何のことかというと「カラマーゾフの兄弟」に出てくるアリョーシャの台詞だ。このセリフが出てくるのは時系列だとスメルジャコフの三度目の対面の直前である。ミーチャとの面会を終え、カテリーナのもとを…
わたしはドストエフスキーの研究家でもなければロシア語に堪能なわけでもない。更に言えばドストエフスキーオタクというわけでもない。つまりドストエフスキー本人に関してもまったく詳しくない、言うなれば「ニワカ」「素人」なのである。こんな私でもあれ…
「カラマーゾフの兄弟」において眼鏡キャラと言えばカラマーゾフ家の次男イワンを思い浮かべる人が多いと思われる。私もイワン=眼鏡キャラなイメージがある。そのため眼鏡をかけていないイワンを見るとなんかコレジャナイと思ってしまう。しかし実をいうと…
スメルジャコフを語るうえで外すことができないのが、カラマーゾフ家の次男イワンとの関係だろう。スメルジャコフは三度目の対面の時、フョードルの元から盗み出した三千ルーブルをイワンに返しながら、こんなことを話している。 「わたしにはこんなもの、全…
『だれにも罪を着せぬため、自己の意志によってすすんで生命を絶つ』(第11編10) ミーチャの裁判の前日、イワンとスメルジャコフの三度目の対面が終わった後、フョードル殺害の『犯人』スメルジャコフは謎めいた遺書を残して自殺をする。スメルジャコフの自…
ドストエフスキーの作品というのは100人いれば100通りの解釈が可能と言われているらしく、同じ作品でも、読み手によって解釈や考察が別れることはザラである。私も読み手の一人として様々な解釈や考察をしてみたい!ということで挑んでみたのだが、見事にぐ…