月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

手帳を書かなくても死ぬわけじゃない

私も含めてだが、毎年毎年(下手をすれば毎日?)『手帳が使いこなせない』と思い悩む手帳ユーザーは少なくない。だがそもそも『手帳を使いこなせている』とはどういう状態のことを言うのだろうか。とりあえず思いつく限りを羅列してみる。

①一年間同じ手帳を使い続けている

『手帳を使いこなせている』人と言うのは、途中で手帳を買い替えたりはせず、寧ろ同じ手帳を何年も使い続けている。一方で手帳を『使いこなせていない』人と言うのはその逆になる。

②手帳の空白が少ない

手帳術特集なんかを見ると、手帳を『使いこなせている』人と言うのは1ページきっちり書き込まれていることが多い。一方『使いこなせていない』人は空白だらけ、途中で使わなくなるので、未使用のページがたっぷり残っている。

③手帳を使って何かしらの目標達成、生活改善ができている

これも手帳術特集なんかでよく見るのだが、『お金がたまった』とか『ダイエットに成功した』とか『副業が上手くいった』とか手帳を使ったことによる効果が書き手の体験談として掲載されることがある。

と、『手帳を使いこなしている』ことの定義みたいなものを簡単に考察してみたが、では手帳を『使いこなせない』ことによって何らかのデメリットはあるのだろうか。

答えは『特にない』である。

スケジュール管理は手帳じゃなくスマホでも可能だ。手書きがいいのであれば卓上カレンダーでも十分だろう。或いは個々のプロジェクトの予定を会社やチームのクラウドで管理している人もいるかもしれない。ビジネスマンが商談で手帳を使うこともあるだろうが、ビジネスマンじゃない人間からすれば手帳を持つことは別に必須ではない。また、予定管理を目的としているのならば、マンスリーのカレンダーにその予定を書き込めばいいだけなので、別に『手帳を使いこなせない』と悩む必要はない。

これが例えばダイエットなら続けなければ『痩せられない』貯金ならば『お金が無くなる』或いは勉強なら『自己成長ができない』と『続けられない』ことに対する問題はあるだろう。しかし手帳の場合は使わなくても何とでもなるし、使えなかったとしても病気になったり『手帳を使いこなせないと死んでしまうんです』というということがあるわけでもない。空白の手帳が生まれても気にしなければどうということはないのだ。

だが『手帳を使いこなせない』ことを『気にすること』によって生じる問題はある。

それはずばり『お金』だ。

手帳はだいたい買うものだ。システム手帳の場合はオリジナルのリフィルを作って印刷して使うこともあるだろうが、バインダーはだいたい買う。100均にも手帳はだいたいあるが、本屋や文具店で買おうとすると、大きさやフォーマットによりけりではあるが、安いものでも1000円近くはする。決して安い買い物ではない。ということは『手帳を使いこなせない』場合、手帳に費やしたお金が空白ページの分だけ無駄になってしまうのだ。だから『手帳を使いこなしたい=手帳に費やした元を取りたい』なのだ(※すべての人が当てはなるわけではありません)。

ここで『自分には手帳は必要ないんだ。もう手帳を買うのはやめよう』となるか『自分は予定管理で手帳をあまり使わないから、今度はこんな使い方をしてみよう』となるのならばいい。『この手帳は自分には合わなかったんだ。自分に合う手帳はもっと他にあるはず!』と今度は『自分に合う手帳探し』を始めてしまう。そうしてこれがいい→やっぱり違うを繰り返して、気づけば家の引き出しに『使いこなせなかった手帳たち』が大量に眠ることになるのだ。最終的に『これがいちばんあっている』という手帳が見つかればいいのだが、多分たいていの人は延々とこのループに陥ることになるだろう。何故なら手帳選びに『失敗』しても『また買いなおせばいい』=『元を取りなおせばいい』と思ってしまうからだ。また、次から次へと手帳を『買いなおす』ことで『自分は手帳が好きなんだ』『手帳が趣味なんだ』という錯覚に陥ってしまう。こうなると散財ループは止まらない。言い方は悪いが、ギャンブルで損をしたのをまたギャンブルで取り返そうとして更に浪費を重ねているいるようになってしまう。

更に、昨今の手帳は『夢をかなえる』『人生が変わる』『目標達成できる』といった自己啓発ツールとしての側面を持つようになっている。手帳術やノート術の書籍を見ると枕詞のように『夢をかなえる』『人生を変える』といった言葉がセットでついてくる。実際に手帳やノートを使って夢をかなえた、目標を達成できたという人がいることは否定しない。私自身、自慢ではないがささやかな目標を達成したことがある。しかし、当たり前の話だが、手帳に書くだけで目標が達成したり人生が変わったり夢がかなうわけではない。あくまでもそのために行動するのは自分自身だからである。本気で達成したい目標があるなら、手帳なんて書いてないでさっさと今すぐ行動に移すべきなのだ。手帳は道標としては役に立つが、目的地に向かって歩くのは自分自身であり、手帳に書いたら寝ていても目的地にワープするわけではない。『皿を洗う』というタスクを手帳に書き込んだところで皿が洗われているわけではないのと同じだ。

↑で触れたが『手帳を使いこなす』=『手帳に費やした元を取る』と考えた場合、こうした『夢をかなえる』『人生が変わる』『目標を達成する』或いは『仕事ができる』『勉強ができる』『家事が上手くいく』という枕詞を信じて手帳を買った場合、元を取るには実際に目標を達成するなり夢をかなえるなり人生を少しでも好転させるしかない。しかし繰り返すが、それらをかなえるために行動するのはあくまでも自分だ。夢がかなわない、目標を達成できない、人生が変わらない――と言っても、自分の能力や力量、行動が不足しているだけであって、それらは別に手帳のせいではない。手帳うんぬんよりもまず自分自身を見つめ直さなくてはならないだろう。そこで自分の力量や能力不足、はたまたすぐ怠惰に飲み込まれる自分の駄目さ加減に打ちのめされて、『自分はまだまだだから、もっと頑張ろう』となるか、或いは自分には無理だと諦めるか。それは自分次第だ。

しかし努力も行動もできない人の場合『○○できたらいいなあ』程度の棚ぼたや偶然、運に頼る、スピリチュアル的に言えば『引き寄せの法則』狙いで夢をかなえたり目標を達成したり現実を好転しようなどと考えてしまう。手帳術特集やSNSの綺麗に書き込まれたを見て『この手帳を遣えば何かが変わるかもしれない』と手帳を買い、書きはするものの、行動しないので何も現状を変えられず、『この手帳は私には合わなかったのだ』と散財ループを繰り返すことになる。こういう人は手帳メーカーや出版社からからすればありがたいカ……いやお客様かもしれないが。

……えっと、何の話をしていたんだっけ?

今回、勢いに任せて手帳好きの人からかなり怒られそうな記事を書いてしまったが、とにかく『手帳を書かなくても死なない』し『手帳を書かないから不幸になる』わけではない。手帳はあくまでも道具でしかなく、しかも多くの場合はなくても別段困らない代物である(書き込まれた手帳の場合は無くしたら困るだろうが……)。どう使うかは本人次第だ……という自戒を込めて今回の記事を終わりにする。