月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

過去のノートや手帳を捨てて後悔した話

私はかれこれ4年ほど前からノートを書き綴っている。
最初はいわゆる創作ノート的なものであったが、徐々に勉強したことや思いついたこと、読書感想などを書く「なんでもノート」へとシフトチェンジしていった。そして日記。これもかれこれ5~6年ほど前からずっと書いていた。今年ほぼ日手帳を使うようになって中断してたが、先月、再開した。私にとって『日記を書く』ということはノートを書きなぐるったり手帳を書いたりするのとはまた違うものだった。自分自身の感情や考えたことを生々しく、文章にして紙に書き綴るのだ。

だが実のところその大半は処分してしまっていた。

理由は当時断捨離にハマっていたこと、なかなか次の仕事が見つからずに行き詰っていたこと、などがある。あと私にはリセット癖というか何かモヤモヤしたり嫌なことがあると物を捨ててしまう癖がある。正直あまり良くないので治したいのだが…。
とにかく私はいらない物を捨てた。LOVE PHANTOMの歌詞を口ずさむまでもなくどんどん捨てて行った。読まなくなった本、着なくなった服、学生時代に使っていた習字道具や絵の具…とにかく処分しまくった。
そしてノートや日記も処分した。どうせ読み返さないし場所は取るし日記なんてどうせろくなことが書いていない。だったら処分してしまえ…とごっそり捨てた。
部屋はすっきりしたし、掃除もしやすくなった。

しかし、今となっては書き溜めた日記やノートを『捨てなければよかった』と後悔している。
なぜか?
それらを捨ててしまったことで自分自身が積み上げてきた者が無くなった気分がしたのだ。

勉強をして得た知識、読んだ本、日常を離れて行った小旅行、食べたもの、そして自分の中に生れたアイデアや価値観…それらのものは確実に自分の血肉になり…というのは聊か言いすぎだが、使い終えた冊数が1冊、また1冊と増えていくごとに、自分自身の中にいろいろなものが蓄えられていく気分になった。
だが、それらを捨ててしまったことで『貯え』も消えてしまったのである。もはやそれは、自分の記憶の中にしかなく、その記憶も確かなものではなく、いつしか忘れて消えてしまい、思い出すことすらなくなっていく。過去の日記やノートに何を書いたのか、少しは覚えているものの、もはや忘却の彼方に葬り去られていた。

人は忘れる生き物だ。たから忘れないために、いや、忘れてもいいように書き残すのだ。普段や読み返さなくても、ふと気が向いたときに読み返すこともある。それが現在の自分の助けになることもある。だが書いたものを捨ててしまったら、もうそれはできないのだ。

というわけで今度から過去のノートや日記、手帳類はできるだけ取っておこうと決めた。問題は冊数が重なるごとに保管場所に困るという点である。スキャンしてデータ化するという手もあるがなかなかの手間だったりする。うーむ…。