月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

泥努と巨大な『絵』

『双亡亭』の主、坂巻泥努には90年描き続けていた『絵』があった。
その『絵』は泥努のアトリエにあり、巨大なカンヴァスに描かれたものであった。未完成のうちは何が描いてあるのか判らない絵であった。しかしそれはただの『絵』ではなく『侵略者』が地球にやってくるための門であり、泥努は『絵』の完成と同時にすべての門を開くことを決めていた。この絵がどんなものであるから本編を見てもらいたいのだが、単行本だとカラーではなくなっているのが極めて惜しい。

今回はその『絵』自体の考察ではなく残花少尉との関係に絡めて考察という名の妄想をしていきたいと思う。

その『絵』についての考察はさておきとして、先にも書いたが、泥努は巨大な『絵』を完成させたらすべての門を開くことを決めていた。そのため『侵略者』代表であるしのや、泥努に仕えている世界崩壊フェチ脛毛メイド五頭応尽も『絵』の完成を待ち続けた。ところが売れない自称芸術家である泥努は絵に並々ならぬこだわりを見せており、しのや応尽がいくらせっついても『絵』を完成させなかった。それどころかモデルとして連れてきた紅を気に入り、彼女と語り合いながら絵を描き続けた。そのため紅は単行本にして10巻近くが裸となっている。

しびれを切らした応尽としのは、泥努を殺すことを実行に移すことにした。門の開閉自体は泥努の想いのままではあるが、彼が死ぬと門が開いたままの状態となる。つまり泥努が死んでしまえば、二度と門を閉じることは不可能となるのだ。
泥努は侵略者の水によって不老不死の身体を得ており、その水を全部抜かれてしまい、ただの人間に戻ってしまう。もちろん今作のラスボスであるこの男が黙ってやられるはずもないのだが紅を身を挺して守る、しのから予想外の反撃を受ける、更には泥努の死が世界の滅亡に繋がることを知らない破壊者たちによって、彼は下半身と右腕を失い満身創痍となってしまうのだ(その状態で何で生きているんだよ言いたくなるが泥努曰く僅かに残った水で永らえていたらしい)。
最悪なことにこの事実を知っているのは紅だけであり、破壊者たちはだれ一人知らなかった。そのため幼馴染の残花少尉も泥努を殺そうとしかけたが間一髪現れた凧葉によってそれは防がれた。マジありがとう凧葉さん。

さて、しのと応尽の策略(?)によって瀕死となった泥努なのだが、彼は自身の『絵』を開くかどうかの葛藤をしていた。アトリエの『絵』は応尽と元青一の友達たちへの抹殺反撃にすべて使われ、残った『絵』は未完成の巨大な『絵』のみであった。泥努が『絵』を開くのは『絵』を完成させた時だと決めていた。そのため、自分の身を守るために『絵』を開くことは自分の主義に反することであったのだ。自分の命より絵描きとしてのプライドを優先する泥努さん、ちょっとかっこいい。

しかしそんな彼が『未完成の絵を開かない』という自分で決めたことを反故に仕掛けた場面がある。凧葉の交通整理によって心を通わせかけた残花少尉が泥努を庇って瀕死の重傷を負った時だ。凧葉も含めて何故か綺麗に『絵』の近くにある足場に落ちたのだが、泥努は残花少尉の傷を治すためにためらいなく未完成の『絵』を開こうとしたのだ。この直前に残花少尉は泥努に『自分が泥努と竜宮城へ行く代わりに侵略者の門を開かない』約束を取り付けており、結局この時は『絵』が開くことはなく、つまり泥努は残花少尉の傷を治すことができなかった。
その後泥努はしのを吸収して時間を歪め、未完成だった『絵』を完成させた。この時の泥努の目的は門を開いて世界を滅ぼすためではなく、事切れた残花を『侵略者』の力を使って生き返らせることであった。
結局ある一言が原因で約束は反故にされ、門は全解放されてしまうのだが、少なくとも地雷がさく裂する直前までの泥努は残花との約束を守るつもりでいたことは強く言っておきたい。

残花少尉は泥努の幼馴染ではあるが基本的には『絵』や『芸術』とは無縁な人物である。そのため姉であるしのぶや同じ絵描きである凧葉、しのぶ似でありモデルとして気に入った紅と比べると泥努からのベクトルは弱いように感じられる。作中でも残花少尉が泥土=由太郎のことを語ることは多くても、泥努が残花を語ることは皆無に近い。芸術論、絵描き同士の対話が本筋であるので、正直自分も『この二人の幼馴染設定はたして必要だったのか?』と何度も思った。しかし泥努にとって残花少尉は間違いなく大切な友達である。絵を完成させたら世界を滅ぼすつもりでいながら約束を取り付けられればそれをあっさりと放棄し、自身を永らえるために絵を開くかどうかを葛藤しておいて少尉の傷をいやすためにためらいなく絵を開こうとし、応尽やしのがいくらせっついても絵を完成させなかったのに少尉を生き返られるために絵を完成させた。残花少尉との関係から姉と芸術以外興味ありませんといった態度を取りながら実はそうわけではないという人間離れした泥努の『人間らしい一面』が見えてくるのである。

ところでこの二人の関係なのだが、私はふとあるドストエフスキー作品を思い出した。『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフと彼の友人であるラズミーヒンだ。ラズミーヒンも『友達想いのいい奴』であり、罪を犯したラスコーリニコフが自首した後も彼の減刑に努めたりと何かと奔走しているし彼のためにシベリアまで行ってしまう。…ん、そうなるとタコハさんはソーニャか?そんなラズミーヒンが、泥努との幼い日の約束のために竜宮城(双亡亭)で永遠に一緒にいようとした残花少尉が何となく被ったのだっだ。

この二人の幼い頃の『約束』についてはまた次回の記事で取り上げたい。