月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

なんにもこわくない

本作のラスボスであり『侵略者』を支配し、自衛隊を全滅させるほどの力を持ち、双亡亭においても時を操ったりつなげたりとやりたい放題やっている(ただし全て自分が絵絵を描きたいためである)泥努は心の奥底では「最高の絵が描けないまま孤独に老人になっていく」ことを恐れていた。だからこそ幼い頃「おれとよっちゃんとで二人で龍宮城へ行ったらええんじゃ!」と笑顔で言った幼馴染と再会した時に笑ったのだ。その笑顔が不気味すぎたせいですれ違いのもとになったのだが。

ではその幼馴染――残花少尉は泥努にとってどのような存在なのだろうか。当作品において主人公のタコハは泥努と同じ絵描きであり最大の理解者(かつ先祖が因縁の相手)、ヒロインの紅は泥努の姉であるしのぶに似たモデルであり、また、紅自身も弟を持つ姉であるということで泥努は彼女に執着していた。紅の弟である緑朗は泥努と同じ姉を持つ弟であり、泥努曰く「双亡亭の唯一の鑑賞者」であった。

他方、残花少尉は本人も図画が全然ダメと言っているほどであり、モデルのモの字も知らず、絵と言うものに関しては何の知識もない。軍人である彼は基本的には絵や芸術と言ったものとは無縁なのだ(紅も無縁だが泥努がモデルとしても気に入っている)。由太郎が姉であるしのぶを絞殺する現場に居合わせてしまったものの、基本的には泥努が憎んでいる月橋詠座にまつわる因縁とも何も関係がない(詠座の元ネタになった有名絵描きが岡山出身と聞いて少し身構えたが)。幼い頃に『約束』したとはいえ、別に少尉が来たからと言って凧葉のように一緒に絵が描けるわけでもなければ絵や芸術の話ができるわけでもない。泥努の現在の絵は残花少尉から見たらおそらく理解不能だろうから、緑朗のような『鑑賞者』としてでもないだろう。

「友達が一緒に龍宮城に行ってくれるんだ
 なんにも、こわくない…」(双亡亭壊すべし 第二十三巻)

緑朗が泥努の中で出会った老人——年老いた泥努はこう言って笑った。つまり老泥努にとっての『友だち』は自身が抱えている恐怖を和らげてくれる存在なのである。たとえ根本的になくなりはしなくても一緒にいると安心する、怖くなくなる、ということだ。(連載当時誰か『安心毛布』と言っていた人がいるが、少尉はまさに泥努の『安心毛布』だった言えるだろう)

そして注目すべきは残花少尉と泥努の2度目の再会の後である。しのや五頭応尽の策略によって破壊者側の電撃&火球で下半身と右腕を失ってしまった泥努。残花少尉はその時は泥努を殺そうとしたが、間一髪凧葉によって止められた(第二十一巻)。その後凧葉は泥努の言葉に従ってアトリエの天井に向かい、応尽は自身の式神を実体化させて彼等を殺すように命じた。残花少尉は式神是光の後を追って激しい殺陣を繰り広げるのだが、最大パワーの是光はとんでもなく強かった。それでも残花少尉は凧葉と泥努を守るために戦った。(第二十二巻)特に泥努は死ぬと門を開きっぱなしになるので彼の死はすなわち世界の終わりを意味していた。
是光を相手に戦う残花少尉を見つめる泥努が思い出していたのは、幼い頃、いじめっ子に集団でいじめられていたところを下駄を持った残花少年が助けに来た時の記憶だった。
実は泥努はこれを2回思い浮かべている。泥努の真意を知り、約束を思い出した残花少尉が竜宮城へ行くと宣言し、泥努に侵略者を呼びこまないよう約束した時だった。残花少年はいじめられて泣いていた由太郎に、腫れた顔で笑いかけた。

「なァに、大丈夫じゃ。
 あんなやつらおれがまた、
 やっつけてやるわい」(双亡亭壊すべし 第二十三巻)

この後爆発が起こり、残花少尉は泥努に降り注ぐ瓦礫から彼を庇った。そして幼い頃に由太郎に言ったセリフを言い残して一旦は事切れてしまうのである。

ここからわかるのは、泥努にとって残花少尉は『自分を悪いものから守ってくれる存在』ということだろう。実は8巻で絵に引き込まれた残花少尉の回想でも、家が金持ちだからという理由で目の敵にされた由太郎を庇い、励ますようなことを言っている。残花少尉は双亡亭本編においてヒーロー的存在として描かれているのだが、泥努にとっては幼い頃からいわば『ヒーロー』だったということか。だから一緒に龍宮城に来てもらえば何も怖くなかったのだ。
ちなみに二人は幼い頃によくれんげ畑で遊んでいた。二十三巻表紙を見るとよっちゃん残ちゃんの足もとにれんげ畑が広がっているのだが、れんげの花言葉「あなたと一緒なら苦痛は和らぐ」である。作者が意図しているかどうかは不明だが、老泥努の「(友達が来てくれるから)なんにもこわくない」を思わせた。(これは個人的な妄想なのだが残花の『花』はもしかしたられんげの花なのかなと思ったりする

結局泥努は残花少尉を自分のもとではなく彼に思いを寄せている少女、帰黒とともに元の時代に帰ることを勧めた。双亡亭は不要と判断した泥努にとっては竜宮城へは行く必要は無く、もう残花少尉に守ってもらう必要は無くなったのだ。だからこそ、最終回にてあと一筆書き損ねても、つまり「最高の絵を描けない」ままであっても、穏やかに逝くことができたのかもしれない。