月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

残花少尉の『土下座』

双亡亭壊すべし』においては「赦す」ということが重要なファクターとして存在している。それは過去に過ちを犯した自分を「赦す」ことであり、そして自分に対して危害を加えた相手を「赦す」ことであった。

呪詛は身を怨念に浸し、全霊を込めて行うものじゃ。
それを解くのに、この世で一番行い難いことをせねばならんのは道理じゃろう。
すなわち、人にとって一等、難しいのは害を与えたものを――

「赦す」こと……
双亡亭壊すべし 第二十巻)

帰黒の育ての親である瑞祥は、彼女に「子腐」という言霊封印をかけていた。それは帰黒の強大な力を封じ込めるためであった。そのため瑞祥は帰黒に「お前は醜い」といい続けた。帰黒自身はかなりの美少女なのだが、瑞祥の「言霊封印」のせいで自分自身を醜いと思い込み、自己評価も低くなり、いくら周りが綺麗だとか美人だと言っても信じられなかった。育ての親にかけられた言霊で彼女はずいぶんと苦しんだ。

帰黒は瑞祥からの謝罪に対して「御赦しいたします」と涙を浮かべた。彼女は本心から瑞祥を赦したのだが、前述の瑞祥の言葉の通り「害を与えたものを赦す」というのは困難なことだ。現実には被害者は加害者を赦そうとはまず思わない。加害者側が反省し「赦してくれ」と和解を求めるのならば歩み寄れるのだが、加害側が何も反省せず、悪びれもしていないのであればなかなかそうはいかないのが普通だ。

泥努と残花少尉の場合はどうだろう。昭和7年に515事件の犯人を追って残花少尉は部下たちと双亡亭に突入した。そこで泥努との再会を果たすのだが、部下たちは泥努が描いた肖像画たちに引き込まれて人ならざる者に変容させられ、自身も絵から脱出するために全身の皮膚を失うという大怪我を負った。しかし泥努としては幼馴染に対しての悪意など一切なく、ただ幼い頃にした「一緒に龍宮城に行く」という約束を果たしてほしかっただけなのだ。だが残花少尉を絵に引き込むときの泥努の歪んだ笑みが「嗤った」ように見えたことや少尉自身が「約束」を忘れていたこともあり、彼の真意は幼馴染には通じなかった。(とはいえ二十三巻のあの件を読み返す限り大切な約束というよりは在りし日の日常の一コマのやり取りといった具合なので少尉が覚えてなくても無理もない。というかそんな雑談みたいなやり取りをずっと覚えていた泥努さんエ…)残花少尉は信頼していた部下たちを全滅させ、自身にも大けがを負わせた泥努に復讐を誓い、帰黒の霊水で傷をいやした後で彼女を相棒にして再度双亡亭に乗り込んでいったのである。

繰り返すが泥努自身には残花少尉に対して悪意があったわけではない。むしろ逆で、少尉が双亡亭にやってきたこと、彼と再会できたことが嬉しかったのだ。しかし残花少尉に与えた『害』は瑞祥が帰黒に与えたそれとは比較にならないものであろう。凧葉の「交通整理」によって泥努の笑顔を誤解していたことを知り、そして幼い日に交わした約束を思い出した残花少尉だが、大切な部下たちを全滅させて、自身に大怪我を負わせた相手を赦せるかどうかは別問題だからだ。

しかし残花少尉驚くべき行動に出た。なんと泥努にたいして「すまなかった、由太郎」(第二十三巻)と土下座をしたのである。約束を忘れ、笑顔の意図を誤解したことへの謝罪なのだろうが、客観的に見れば少尉自身は何も悪くなく、寧ろ作中においても泥努の最大の被害者といってもいい。おまけに泥努は凧葉の言葉に対して「お前の妄想にすぎん」と言い捨て、少尉が約束を思い出しても「気安く話しかけるな兵隊」と反省どころが悪びれた様子もなく、拗ねた子供のような態度を取っていた。それだけに残花少尉の土下座と幼少期で止まっているような泥努との「約束」を果たすと宣言したことが際立ってくる。幼馴染に絆された部分もあるかもしれないがそれにしたって器がでかすぎるだろうこの人。
泥努が門を開けば大量の侵略者たちが地球にやって来る。そのため残花少尉は自身が約束を果たすことと引き換えに、泥努にも侵略者の門を開かない約束を取り付けた。彼は世界を守るため、そして泥努のために瑞祥曰く「この世で一番行い難い」ことをやってのけたのだ。残花少尉は竜宮城行を止めようとする凧葉に「武士に二言は無い」とほほ笑むのだが、その時黒く塗りつぶされた目に光が戻っていた。

残花少尉は本人も自覚しているが「短気で融通が利かない」ところがあり、当初も確かにすぐに頭に血が上ってカッカしている場面が見られた。しかしきちんと説明すれば話が分かる人物でもあり、頭を狙撃された緑朗を気遣ったりする優しさを持っている。だからこそ国籍も時代も違う他の破壊者たちと共闘することもできた。少尉は最終的に帰黒と共に元の時代に帰ったのだが、このあと待っているのは第二次世界大戦である。その後彼は一体どのような運命をたどっていくのだろうか。果たして軍人として生きるのか、それともこれまでとは全く違う別の人生を歩むのか。そもそも過去の双亡亭はどうなったのか。それは今のところわからないが、いずれにせよ彼はまだ20代であり、人生これからという年齢でもある。いかなる困難が待ち受けようとも、帰黒と共に幸せになってもらいたいものである。