月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

泥努と残花少尉の『再会』シーンを読み返す

漫画でも小説でもアニメでも映画でも、繰り返し読み返したり見返すと気づいたり見えてくるものがある。しかし自分の解釈と公式側から出された答えが違うこともあり得る。私が書いている考察や解釈も大外れである可能性が大だ。自分には読み取る力があるとは言い切れないし、以前の記事で書いた「推しフィルター」がかかっていることもあるからだ。それでもやはり自分なりの解釈を考えることは楽しいし、それを形にしてこうしてブログに載せるのは頭がすっきりする。

ということで今回も双亡亭考察もといよっちゃん残ちゃん考察をしていきたいと思う。

昭和7年5月15日。
この日は言わずと知れた「5.15事件」が起きた日である。
青年将校たちに当時の首相だった犬養毅が殺害された事件だ。
双亡亭壊すべし」の世界でもこの事件は起きており、事件の直後に犯人の逮捕のために駆り出されたのが黄ノ下残花少尉率いる帝国陸軍東京憲兵隊沼半井小隊第四分隊、通称『残花班』である。残花少尉たちは住人たちが犯人と思わしき軍人たちがとある屋敷に逃げ込んだこと証言した。その屋敷こそ『双亡亭』であった。少尉は部下たちを奇妙な屋敷の中に進めさせた。この後悲劇が待っているとも知らずに…

奇妙な屋敷を進む残花少尉たちだったが、部下たちは壁にかけられた各々の肖像画の前で立ち止まってしまう。そこへ絵描きの男が現れた。その男こそ双亡亭の主である画家・坂巻泥努であり、残花少尉の幼馴染である坂巻由太郎であった。残花少尉は泥努に犯人を目撃していないか問い詰めるが、泥努は話が通じでいない様子だった。しびれを切らして屋敷を捜索しようとする少尉だったが、泥努が少尉の肖像画を完成させた直後、部下たちの絵から無数の腕が出現し、彼らを絵の中に引き込んでしまう。そして残花少尉もまた餌食となった。絵に引き込まれる少尉に対して泥努は「ざんちゃぁん」と不気味な笑いを浮かべたのだった…

…と、ざっくりではあるが7巻8巻に描かれている残花少尉と泥努の再会の顛末を振り返ってみた。残花少尉と泥努=由太郎は幼馴染同士ではあるが、由太郎が姉・しのぶを絞殺した事件以来会うことは無かった。残花が恐怖のあまり逃げ帰り、熱を出して寝込んでいた間にしのぶの葬式は済み、坂巻家も引っ越してしまったからだ。そうして十数年ぶりに再会した幼馴染はかつての面影も友人への興味や関心も失ったかのように見えた。しかも泥努は幼馴染である残花少尉を即絵に引き込んだのである。初見でこのあたりを読むと「現在の泥努は昔の知り合い程度にしか残花のことを認識しておらず、泥努となった今はどうでもいい存在となった」と受け止めてしまう。3巻で描かれた凧葉と泥努の出会いと再会時の会話と比較するとあまりに落差がありすぎるようにも思えた。
少尉は自分を絵に引き込んだときの泥努の笑顔の真意について「あの時逃げだ自分への復讐か」と推測していたが、実際は全く別の意図であった。(少尉は由太郎から逃げてしまったことを後悔しており、ずっと謝りたかったと言っていたが、その気持ちは色が視える由太郎には伝わっていた模様)だが再会時の泥努の対応と、その後残花少尉の存在など忘れてしまっていたかのように全く言及されないのを見ると泥努の笑顔の意図が発覚する23巻の展開は唐突感が否めない。竜宮城やうらしまたろうの件もいわゆる後付け設定だったのかと思うほどだ。

しかし再会シーンをよくよく読み返してみると、この時点で泥努にとって残花少尉がどうでもいいどころか姉や凧葉、紅と同様に特別な存在だったことがうかがえる。
泥努が双亡亭に引きこもった理由は他者との関わりを一切絶ち、一人で絵を描くことを選んだためであった。基本的に彼は母屋中心のアトリエで絵を描いており、そこから出てくることは滅多にない。実際作中でもアトリエから出てきたのは4回ほどで、絵描きとして興味を持った凧葉に双亡亭内を案内するため、モデルとして目をつけた紅を攫うため、双亡亭を破壊する自衛隊を一掃するため、そしてもう1つが昭和7年の残花少尉との再会時である。

侵略者を支配した泥努は双亡亭内の出来事を自在に壁に移すことが可能であり、さらに時間や空間を歪ませることができる。突如として壁に肖像画が現れるのはおそらくそのためだ。ということは侵入者の肖像画を描くためにわざわざアトリエの外に出てくる必要がないのだ。更に言うと前述の凧葉と泥努の出会いは凧葉が絵の中に取り込まれた直後であり、絵を描いている泥努が気になって凧葉が自分から声をかけた格好である。
実は少尉と泥努が再会した場所は、のちに巨大な絵が描かれることになるアトリエではなく、母屋の廊下だった。泥努はわざわざそこで絵を描いていたのである。つまりこの時泥努は自分から残花少尉の前に姿を現したと考えられるのだ。

もし残花少尉が泥努にとってどうでもいい存在であれば、彼は姿を現すことすらしなかっただろう。残花少尉の絵も部下たちのそれを同じくいつの間にか壁にかけられていた状態のはずだ。また、仮に偶然姿を見せたとしても、泥努は残花少尉を無視して黙々と絵を描き続けたに違いない。泥努に90年近く仕えることになる五頭応尽は少年時代、応尽ではなく応吉という名前だったころ双亡亭が建つ前に彼の家に忍び込んで食べ物を漁っていたのだが、彼との出会いについては「虫けらでも見るように眺めて、どこかへ行っただけだ」(第ニ十巻)と回想している。(このあたりはなんとなくイワンとスメルジャコフの関係を思い出すなあとか思ったりもする)この応吉との出会いと比較してみても、残花少尉は泥努にとって「特別」だと言えるのだ。ちなみに応吉が泥努に仕え始めたのが昭和7年5月15日なのだが、応吉が泥努が模写した絵を持っていたことが要因だった。しかしこの時の泥努は残花少尉と再会できたことや彼を竜宮城に連れて行けると喜んでいたため、もしかしたらこの上なく機嫌が良かったことも大きかったのかもしれない。

そして泥努が描いた残花少尉の肖像画が他とは違っていることも注目すべき点であろう。凧葉や紅といった破壊者たち、或いはレポーターや当時中学生だった斯波総理たちの肖像画は本人にそっくりにであり、メタ的に言えば作者本人が描いている。だが残花少尉の場合は絵柄がまるで違っている。はっきり言って本人とはまるで似ていない。というのも少尉の肖像画は作者本人ではなく絵を提供しているはこたゆうじ氏が描いたものだからだ。はこた氏は泥努と凧葉が描いた全ての『絵』を担当している。泥努は肖像画を描く際、過去の体験を『診察』しそれを絵に練り込むらしい。他の肖像画については「診察したまま」を描いているとすれば、絵柄がまるで違う残花少尉の場合は「その限りではない」ことになる。とはいえ昔と今では絵柄が違うということもあり得るのだが、いずれにせよほかの肖像画と何らかの差別化を図っているとは思われる。その『差別化』を明確に判断する材料は残念ながら見つからない。

そういえば5・15事件で青年将校に撃たれた犬養首相の有名な言葉は「話せばわかる」である。「双亡亭壊すべし」は「対話」することの大切さを前面に打ち出しており、凧葉と泥努の最終決戦も絵を描きながらの「対話」だった。泥努と残花少尉も帰黒が時間を稼ぎ、凧葉が交通整理をして「対話」できたからこそ「和解」ができた。キレイに完結したので蛇足になってしまうが、個人的には残花少尉と再会してから彼が絵から脱出するまでの『泥努視点の5・15』が見てみたかったとは思う。