月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

坂巻しのぶの子供考と泥努の幸せな時代

当ブログの双亡亭考察は主に双亡亭の主坂巻泥努と彼の幼馴染黄ノ下残花の関係についてなのだが、それにあたってwikipedia先生にもかなりお世話になっている。

例えば学校制度も現代と昔ではずいぶんと違っている。1904年生まれの由太郎と残花の時代では、尋常小学校は6年、高等小学校は2年である。つまり現在と同じように12歳で小学校を卒業し、中学校にあたる高等小学校に進学する(残花少尉が小学校六年生の緑朗を指して「尋常小学校の子供」と言っていたことを考えると泥努と残花少尉が通っていた当時は六年制と二年制で合っていたとは思う)。しのぶの件は由太郎が13歳の出来事だったので、高等小学校1年生の時ということになる。現代でもそうだが小学校から中学校に入ると環境がそれまでのものと激変する。残花は軍人になるための修業が本格化し「由太郎と遊ぶことが少なくなった」(第八巻)。由太郎の姉、しのぶは「絵が上手くなりたい」と東京の学校へ行くことになった。由太郎にしてみれば仲のいい友人とはほとんど遊べず、姉は遠くへ行ってしまった。この環境の変化は多感な思春期の由太郎にはだいぶストレスになったに違いない。更に姉は画家である月橋詠座と恋に落ちた。父は姉を連れ戻したが、姉は病にかかり酷くやつれてしまっていた。その姿に由太郎はショックを受け、詠座に激しい怒りと憎悪を向けるようになった。その憎き月橋詠座の子孫が『双亡亭壊すべし』の主人公、凧葉務である。

さて、一部では詠座の子孫である凧葉についてある憶測がされていた。それは「凧葉が姉しのぶと詠座の子供の子孫」だという説だった「しのぶは産後の肥立ちが悪くて病気になり、赤ん坊も実家に取り上げられた」という説が連載当時まことしやかに語られていた。確かに昔であれば出産後に母親が命を落とすということも珍しくないだろう。また、詠座の子供である月橋龍彦(青一とマコトの『おじいちゃん』が彼に当たると見られている)は凧葉家に養子に入ったために凧葉龍彦になったのだという。(名前に龍宮城の『龍』が入っているのは果たして偶然だろうか…)養子に出された有名画家の子供というのは色々と訳ありな匂いがする。妾となったしのぶの子供だから養子に出された、と考えることもできるだろう。

しかしこの説は果たして成立するのだろうか。前述のとおり、由太郎が姉を殺したのは13歳の時だ。8巻にて残花が東京へ行く姉に対して悲痛な声を上げて引きとめようとする現場を目撃したのは父親による厳しい剣術修業の後である。このころ残花は高等小学校に進学している。泥努の生れは1904年であり、姉の件は大正6年、1917年の出来事である。つまりしのぶが東京へ行ったのは由太郎が高等小学校に入学して間もないころだと考えられる。大正6年の7月に由太郎が余命幾ばくも無くなったしのぶに会いに来た詠座を刺した。しのぶが父親に連れ戻されるのはその少し前である。しのぶから来た手紙を読む由太郎のページには、蝉が鳴き、向日葵の花が咲いているコマがあった。
ということはしのぶが東京へ行ってから父親に連れ戻されるまでの期間は多く見積もっても三か月程度ということになる。この間に子供を作って出産するなど先ず不可能だ。実はしのぶは前々から詠座にあっていたという可能性もあるがそれでも子供は産んでいないだろう。何故ならそれならばしのぶのお腹はだいぶ大きくなっているはずだからだ。つまり『凧葉=しのぶの子孫』説は成立しないのだ。

ところで第十二巻で紅が泥努に見せられた記憶だと、絵を破られ、ぼろぼろになって泣いている由太郎がいる。声をかけるしのぶに「上級生に殴られた」(第十二巻)と泣く由太郎。だがこのコマ、完結した後に読み返すとある疑問が浮かぶ。残花がいないのだ。
残花は昔、いじめられていた由太郎を助けるために、一人いじめっ子たちに立ち向かった。残花は由太郎を痛めつける彼らを下駄で殴り飛ばした。いじめっ子たちは退散したが、多勢に無勢ということもあって残花も無傷ではすまず、怪我だらけとなった。残花は泣いていた由太郎に手を差し伸べ「あんな奴らおれがまた、やっつけてやるわい」(第二十三巻)と笑顔を浮かべた。
十二巻の回想でも由太郎は虐められていた。しかし彼の近くに残花の姿は無かった。由太郎が苛められたら裸足で助けに来るような残花が、である。何故だろうか。

それはおそらく二十三巻で泥努が回想した記憶が尋常小学校時代、十二巻で紅に見せた記憶が高等小学校のころだったからではないかと考えられる(姉のしのぶがまだ坂巻家にいたことを考えるとおそらく高等小学校に入学して間もない頃だろう)。前述のとおり残花は高等小学校に上がったころから父親からの剣術修業が苛烈を極めるようになり、由太郎と遊ぶ時間も減っていった。もしかしたら実のところクラスも分かれていたかもしれない(残花が由太郎を夏祭りに誘うために坂巻家を訪れた時「ひっさしぶりに」と言っていたが本当に滅多に遊ぶ時間ができなかったのだろう)。それでも登下校は一緒にいたであろうが、下校中に原っぱに行ったり虫を取りに行ったり神社の境内で相撲を取ることも無くなっていったのだろう(現代でも塾や習い事があるために友達と遊ぶ時間が減ることはよくある)。これは私の想像だが、あの時残花は剣術修業のために先に帰ってしまい、残された由太郎は独り孤独に姉の絵を描いていたのではないだろうか(姉の絵を描きたかったのはもちろんだが、ひょっとしたら残花と遊べない寂しさを紛らわしたかったかもしれない)。そこを上級生に見られてしまい、由太郎は絵を破られ、殴られてしまった。いつも自分を助けてくれた残花は傍におらず、由太郎は独り孤独に泣きじゃくった。しのぶがあの場に来たのはもしかしたら帰ってこない由太郎を心配したのかもしれない。…まあ妄想なんですけどね。

余談だが十七巻と十八巻で残花少尉は母屋に突入後に残花班との最後の戦いに挑むのだがその舞台が尋常小学校の教室を逆さまにした場所だった。そこに佇む憲兵隊はかなりのホラーな絵である。残花少尉の居合と殺陣があまりもカッコよすぎるのでそこばかり目が行ってしまうが、私としてはなぜ泥努がわざわざ双亡亭内にこんな部屋を作ったのかを考えてしまう。それは大好きな姉や仲良しの友人と一緒にいられた尋常小学校時代は泥努にとっても幸せな時代だったからではないだろうか。残花少尉は「由太郎との時間は本当に大切だった」(第二十三巻)と回想しているが、泥努にとっても残花との時間はかけがえのないものだったことは間違いない。何せ幼い由太郎が笑うときは幼馴染の残花か姉のしのぶが一緒にいる時だけだったのだ。小学校の教室が残花との思い出の場所の象徴でもあるとすれば、上下逆さまにしたのはその幸せだった思い出が姉を殺したことをきっかけに反転してしまったからではないか、と深読みしたくなる(単純に絵を描くために脳を揺らしたいからかもしれないが)。

…と、話がわき道にそれてしまった。

今回当時の学校制度や作中で判明している時系列をもとに考察してみたが一つ問題がある。『双亡亭壊すべし』はあくまでもフィクションの漫画であるため、過去の出来事や制度も必ずしも史実通りとは限らないという点だ。現に作中でも5・15事件で襲撃された犬養首相以後の総理大臣は戦前の大日本帝国時代から架空の人物となっている。(流石に実在の総理を絵の犠牲者にするわけにもいかないだろうから当然だが)もしかしたら由太郎と残花の時代の学校も、1908年から施行された六・ニ制ではなくそれより前の四・四制を採用している可能性もある。そうなるとしのぶが東京へ行って帰ってくるまで少なくとも一年は余裕ができる。この間なら子供を作って産むのは可能だ。しかししのぶは精神が病んでいたとはいえ子供のことなど一切口にしておらず、由太郎も色でそれを見た様子がない。また、実は本誌において五頭応尽に関する時系列がごちゃごちゃになっていた経緯がある(単行本でその後修正された)。

うん、やはり公式ファンブックを出してもらえないものかと思う。