月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

泥努の執着と束縛

当ブログで昨年の暮れぐらいから「双亡亭壊すべし」というか坂巻泥努と黄ノ下残花の関係に対する考察をしてきたのだが、正直この考察の8割ぐらいは私の妄想なので、ちゃんとしたした作品考察…ではない。正直妄想もかなり入っているので公式側から出された答えが違っていたら今迄の記事どうしようかな…と内心恐々としています、ハイ。

さて、坂巻泥努という男は、姉であるしのぶを筆頭に、同じ絵描きである凧葉や絵のモデルとして攫ってきた紅に強い執着を向けている。凧葉は「絵の話をするのだ」と約束し、彼が外へ出ようとしたとたんに無数の腕を使って自身のもとへ連れて帰り、彼の屋敷での一挙手一投足を見守り続けていたほどだった。ストーカーか。紅に関してもモデルとして連れてきた彼女を気に入り、彼女の話を聞きながら絵を描く時間を「楽しくなくは、ないな」(第二十巻)と言うほどだった。泥努に仕える103歳のすね毛メイド応尽が彼に反逆し、紅を自分のものにしようとしたときはいたく激昂した。「てめえは何の欲求もねえお絵描き機械じゃねえ!」(同)と応尽が看破したとおり、泥努は気に入った人間、心を赦した人間に対してはいたく執着してくるのだ。

その執着は泥努の幼馴染である残花少尉にも向けられていた。かつて昭和7年に双亡亭で再会した残花少尉は、泥努によって笑いながら絵に引き込まれた。その後の描写を見てもしのぶや凧葉、紅に向けられるベクトルと比べると、幼馴染に対してあまりにも関心が無いように思われた。しかし実際は泥努の「笑顔」は喜びのそれであり、幼い頃「おれと由ちゃんと二人で龍宮城に行ったらええんじゃ」という残花の「約束」を果たしてもらおうとしたのであった。だからこそ「うらしまたろう」の歌を歌っても何も察さずただ「己を莫迦にするな」と激昂した残花少尉に対してはげしい怒りを向けたのだった。つくづくめんどくさいな此奴。

しかし執着心だけならまだかわいいものだが、泥努の場合は執着した相手を永遠に束縛しようとするのだ。先にも述べたが凧葉は絵の話をするために自身のもとに再度連れ戻し、紅に関しても彼は最終決戦の時「侵略者」が人間を滅ぼした後で彼女をモデルとして絵を描くつもりでいたと言っていた。残花少尉も「絵」に引きずり込んだこともだが、彼が泥努を庇って死んだあと「〈双亡亭〉で私と共に生きると約束した残花が死ぬなど、私は許さん」(第二十四巻)「侵略者」の力を使ってでも彼を生き返らせようとした。残花少尉との約束があったとはいえ、泥努は「死」という「別れ」を許さず、彼を永遠に自分のところに「束縛」しようとしたのである。

泥努が相手を「束縛」する理由はおそらく最愛の姉であるしのぶが売れっ子画家月橋詠座と恋仲になったことに起因するのだろう。しのぶは父親に連れ戻されたのだが、その際彼女は病に侵されていた。13歳の泥努=由太郎の視点では「最愛の姉は詠座に奪われた挙句ボロボロにされた」のだ。詠座には妻子がいたがしのぶとは相思相愛だった。(ちなみに詠座はしのぶと恋仲になった理由について「絵が好きだったから」と言っていたが。もしかしたら彼は自分の絵に対する理解者、好きなものを共有できる存在を求めていたのかもしれない。そういう点はある意味詠座と泥努は似ている。また詠座は家が貧しく働きながら独学で絵を学び、ようやく小さな絵が認められて31歳で大出世(第十二巻)だという。このあたりは凧葉の生い立ちと似ている)自身の死期を悟っていたしのぶは「詠座先生ともう…会えんのなら…もう…ええんじゃもん」(第十二巻)と由太郎に衝撃的なことを頼んでしまう「姉ちゃんを殺してね」と。彼女はクリスチャンであり、自殺は出来なかったのだ。
なんでよりによってそれを弟に頼むか…と思ったのだがかつて娘メアリーを火事で亡くしたマーグ夫妻も、ツンデレアウグスト博士に自分たちが侵略者に取り込まれた場合「私達は弱いの。ダカラね…殺してねトラヴィス」(第十八巻)と頼んでいた。マーグ夫妻とアウグスト博士はこの時点ではもう友人と言っても差し支えない信頼関係になっていた。とすれば「信頼している相手に自分の生殺与奪をゆだねた」ということだろう。しのぶにとって詠座を除けば「信頼できる相手は」弟の由太郎をおいてほかにいなかったのではないか。
ちょっと話が横道にそれるが、由太郎は色で物事が判る能力があり、それがもとで座敷牢に入れられかけたところで姉に救われた。では同じ能力を持つしのぶはどうだったのか。彼女に理解者となる相手はいたのだろうか。由太郎が生まれるまで、彼女もまた自分の能力を理解されずに孤独だったのでは?そのために由太郎以上に普通に振舞うことを余儀なくされたとしたらどうだろう。「由太郎もすぐにきっと普通になるから!」(第十二巻)と泣き叫ぶ幼いしのぶの言葉が重い。もしかしたらしのぶにとって弟・由太郎以外で初めて自分を理解してもらえる相手が詠座だったのかもしれない。

とにかく由太郎は姉の言葉通り、しのぶを絞め殺してしまった。その直前に彼がしのぶの中に見たのは東京で詠座と過ごした記憶であり、二人に手を伸ばしても遠ざかっていく由太郎のイメージが描写された。おそらくこれが最後の引き金となった。最愛の姉は自分ではなく恋仲となった詠座のもとへ行ってしまう。由太郎は姉を自分のもとへ連れ戻すために、絞め殺したのだ。
泥努がこの時の記憶を「私の最も美しい記憶」(第八巻)と言っていたのは「最愛の姉を詠座のもとから連れ戻すことができた」からだろう。この時に由太郎は「のうざんちゃん、幸せそうじゃろう」と笑った。それは「姉を連れ戻せた」という「喜び」の笑顔であり、十数年後に泥努が残花少尉を絵に引き込んだときも同じように「嗤った」のだった。(残花少尉を笑った理由に関しては最初唐突感があったが、姉を「連れ戻した」時と同じ種類の「笑顔」だとすれば合点がいく)

泥努の他者への束縛は、凧葉との最終決戦を経てようやく解かれることになった。双亡亭を消滅させることを決めた泥努は、生き返った残花少尉を帰黒と共に元の時代に帰るように促したのだ。(ちなみに1話前にかつて泥努が残花少尉を龍宮城へ連れて行くために描いた「絵」が壁から落ちる描写がある。壁の「絵」が落下したのはあの巨大な「絵」だけでなく全ての「絵」を閉じたからなのだが、龍宮城を否定したあの瞬間残花少尉への束縛も解かれたのだろう)大切な人への執着を手放し、束縛を解き、その人が愛している人と添い遂げさせる。それはかつて姉にしてやれなかったことであった。姉は死んでしまったが、残花少尉は生き返った。泥努はかつて身勝手に残花少尉の部下を奪い、彼自身にも重傷を負わせた。だからこそ姉にしてやれなかったことを幼馴染にしてやりたかったのかもしれない。「もうお前は私に縛られる必要は無いのだ」と。