月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

残花少尉の肖像画考

「双亡亭」の主である坂巻泥努は、『侵略者』である黒い水を絵の具として使い、絵を描き続けていた。彼が描いた『絵』は『侵略者』の母星を繋ぐ門であると同時に、その絵を見た人間を中に引き込んで、彼らが身体を乗っ取るための『更衣室』でもあった。『侵略者』は絵に引き込んだ人間のトラウマを抉り、恐怖を与えて心を壊す。それを可能にしているのが泥努が描く『肖像画』であった。泥努は物事が色で視える能力があり、その能力で侵入者の過去を見、それを『絵』に練り込んでいく。故に泥努は凧葉と初めて会った時、こう言った。「私の芸術表現は『診察』に他ならない(第三巻)」。(そのため青一の「心の傷」として両親と『キョウダイ』のマコトが笑っている絵やマーグ夫妻の愛娘であるメアリーの絵を描くこともある。特に青一に関しては彼の肖像を描きかけて「こっちの方がいいか」とわざわざ描き直している。小学六年生の子供に対してひどい仕打ちである)

世間では全く画家として評価されていない泥努だが、彼の画力自体は高い。彼が描く『肖像画』は本人にそっくりであり、一国の総理大臣が気に入って壁に飾るほどだ。(ただしその総理爆死したけどな!)作者本人が描いているのでそっくりなのはまあそりゃそうなのでだが、一人だけ全く異なった絵柄で描かれた人物がいる。

残花少尉である。

残花少尉の肖像画が描かれたのは昭和7年5月15日。憲兵隊長として部下たちを率い、5・15事件の犯人を追って『双亡亭』内に侵入した残花少尉は、そこで幼馴染である坂巻泥努と再会した。その時部下たちは突如出現した自分の肖像画の前で立ち尽くしていた。そして残花少尉も泥努が描いた肖像の中に気持ち悪い笑顔を向けられながら引き込まれていった。残花少尉は全身の皮膚を失うという大怪我を負いながら『絵』から脱出したが、彼の部下たちは残らず『侵略者』に乗っ取られてしまった。

だがその時に泥努が描いた肖像画は、凧葉や紅といった『破壊者』たちや、当時中学生だった斯波総理と桐生防衛大臣、彼らの幼馴染だった『ナナちゃん』といった『双亡亭に侵入した者たち』の肖像画、更にはわざわざ送り付けてきた総理大臣の肖像画とは明らかに絵柄が異なっていた。作中に登場する泥努と凧葉の絵は全て作者の元アシスタントであるはこたゆうじ氏によるものなのだが、残花少尉の肖像画もはこた氏の絵なのである。他の肖像画が作者本人の絵なのに、何故残花少尉だけが異なる絵柄になっているのだろうか。(画像を添付したいが漫画のコマを乗せるのは抵抗あるので実際に少尉と他キャラの肖像画を比べてみてもらいたい)泥努が残花少尉を『診察』した結果あの絵柄になったのだろうか。それとも昭和7年時点と総理の絵が初めて送られた昭和13年ごろとは絵柄を変えたのだろうか。

最初は幼馴染に対して思い入れが無い、或いは兵隊の絵なんて描きたくなかったからだと考えた。或いは絵を理解しない幼馴染への嫌がらせとしてわざと似てない肖像画を描いたのか、とも。しかし泥努は残花少尉に対して思い入れがないどころが寧ろ逆であることが23巻で判明した。泥努が少尉を絵に引き込んだのはかつて子供の頃に残花が言った言葉「オレと由ちゃんと二人で龍宮城に行ったらええんじゃ」(第二十三巻)を泥努が覚えていたからであり、泥努が気持ち悪い笑みを浮かべたのも友人と再会した、一緒に龍宮城に行けるという気持ち悪い無邪気な喜びだったのだ。

また、泥努は女性自衛官の宿木や彼女の部下である森田の肖像画も描いているが、いずれも作者の絵であり残花少尉の肖像画のような絵柄ではなかったし、泥努は絵を描くということに関しては真摯に向き合っている。そのため『侵略者』に乗っ取らせるための『肖像画』は描くもののわざと誰かを貶めるような絵を描くとは考えにくい。そもそもそういう絵を描くこと自体、泥努のプライドが許さないはずだ。(多分)

では残花少尉の肖像画が何故はこた絵なのか。先にも述べたが凧葉と泥努の絵は全てはこた氏によるものだ。それらが活躍するのは最終決戦の時であり、凧葉も泥努も真剣に、相手と向き合いながら絵を描き続けた。そして泥努が『完成したら門を開く』と言っていた、アトリエの巨大な絵。あの男女が向き合う絵もはこた氏の絵であるし、もっと言えば泥努が『絵の具』を手に入れて最初に描いた幼い頃の姉の絵もおそらくははこた氏の絵だ。つまり泥努の『描きたいもの』に関してはあの絵柄になると考えていいだろう。
泥努が残花少尉を『絵』に引き込んだ理由は、『一緒に龍宮城に行く』という幼い頃の『約束』を果たしてもらうためである。もっというと残花少尉を引き込んだときに見せた笑顔は病んだ姉を絞殺した、つまり「姉ちゃんを連れ戻した」(第八巻)喜びの笑顔だった。「これで残ちゃんとずっと一緒にいられる!」という歪んだ友情の笑顔なのである。残花少尉の肖像画だけ異なる絵柄になったのは、再会した幼馴染を何としても龍宮城に連れて行きたいという泥努の強い気持ちの表れだと考えられるのだ。(あのあたりを読み返してみると普段部屋に引きこもっている泥努がわざわざ廊下に出てきたり、少尉の目の前でライブドローイングをやって見せたり、絵を普通に壁にかけておいておけばいいのにわざわざえを自分の手に持って残花少尉を絵に引き込んでいる時点で泥努が残花少尉に対して「特別な感情」を抱いているということがうかがい知れる描写がちらほらある。)

ただ疑問なのが、泥努は残花少尉が『侵略者』に乗っ取られることを是としていたのか?である。見た目が残花少尉ならば中身は侵略者が演じている偽物でも構わなかったのか?と。自身が描いた『姉さん』が絵から出てきたとき、泥努はその手を取り、絵の中へと入ってしまった。それを考えると中身が別物になっても構わなかったのだろうか。

おそらく答えは否である。

『侵略者』は泥努と意思疎通をするために人の形をとった。それが『しの』なのだが、彼女(?)は泥努が描いた姉の姿をモチーフにしている。だが泥努の『しの』の扱いは好いと言えないどころかかなり悪い。気に障ること(例:絵を描くことを邪魔される)をすると途端に念力で吹っ飛ばされたりする(ひどい…)泥努にしてみれば『しの』も自身の芸術のための『絵の具』にすぎないのだ。そんな泥努が『侵略者』に乗っ取られた残花少尉をかつての『幼馴染』として扱うとは思えない。樺島のように「お前は死のうか」(第九巻)と中の水を全部抜かれる仕打ちを受けることも十分考えられる。

また先述のとおり泥努は物事を「色」で視る。「うらしまたろう」の歌を歌ってもなにも思い出さないどころか自分に対する「怒り」と「憎しみ」の色しか見せなくなった残花少尉に対してはげしく激昂し、欠損した右腕を生やして(!?)残花少尉を絞め殺そうとした。更に凧葉の介入によって冷静さを取り戻したとはいえ、自身を「化け物」呼ばわりする(これは少尉もひどいよな…)残花少尉に対し「前とは違う」「短絡ですぐ怒気を現す完全な兵隊に落ちぶれた」(第二十三巻)と拗ねた言い捨てた。そして残花少尉が約束を思い出し、謝罪して龍宮城へ行くと宣言するまで「名も無き兵隊」呼ばわりしていた。龍宮城へ行くと宣言した途端に『残花』呼びに戻ったのはちょっと笑ってしまった。
ということは泥努にとって重要なのは見た目が本人かどうかではなく、中身ないし残花少尉自身の『色』だったのではないだろうか。そのため泥努にとって泥努に対する「怒り」と「憎しみ」の色しか視えない「名も無き兵隊」はもうかつての友ではないと思ったのだろう。残花少尉は泥努=由太郎に対して「元はそんな男ではなかった」(第十七巻)と口にするが、泥努も残花少尉に対して同じ気持ちを抱いたに違いないのだ。いや泥努の自業自得ではあるんだけれど。

また、泥努は自身も下半身と右腕が喪失した状態であったにもかかわらず(なんでその状態で生きているんだとは言わない)是光戦で瀕死の残花少尉のことを助けているし、彼が泥努を庇って瀕死状態になっている時は未完成だったあの巨大な『絵』から『侵略者』を出して残花少尉の傷を治そうとしていた。自身が瀕死になった時ですら門を開かなかった絵を、残花少尉の傷を治すために使おうとしたのだ。もっと言うと是光戦の時に苦戦を強いられながらも凧葉と泥努の二人を守りつつ戦う残花少尉がすでに限界であることを見抜き「諦めて逃げろ」(二十二巻)と促している。その泥努が、残花少尉が『侵略者』に乗っ取られることを是とするとは思えないのだ。

おそらくだが、泥努としては自分と同じように残花少尉に自我を保ったまま『侵略者』を『支配』し、不老不死の存在になってほしかったのではないだろうか。或いは残花少尉の肉体を『支配』した『侵略者』を泥努が更に支配し、残花少尉の人格を保たせる算段もあったかもしれない。残花少尉は『侵略者』に乗っ取られかけた時に頭の中に聞こえた『声』によって自我を取り戻したが、その声の正体が泥努である可能性もある。(これだと泥努は残花少尉を助けようとしたのに当の少尉からは怒りをぶつけられることになって二人の『すれ違い』が更にきついものになるけれども…。)

と久しぶりの双亡亭考察、というか由ちゃん残ちゃん考察なので長々と書いてしまった。あくまで私自身の「解釈」であり「想像」もとい「妄想」も交えたものであり、公式の答えはまるで違ったものかもしれない。泥努が残花少尉に対して「特別な感情」を抱いていたのはしっかり作中でも書かれていることであるが、あまりにも描写は少なく、同じ絵描きである凧葉やお気に入りモデルの紅、一番の理解者である姉のしのぶと比べると判りづらい。だからこそ想像や考察のし甲斐があるというものだが、やはり公式のファンブックが欲しいなあというところで今回の記事を終える。