月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

作品ファン≠作者のファン

趣味について「読書」と答えると、たいてい聞かれることは「好きな作家は?」ではあるが、私は以前からこれらの質問の返答にかなり窮してきた。
というのも、私には「好きな作家」というものがいないからである。例えば私は『カラマーゾフの兄弟』という作品は好きだが、だからといってドストエフスキーのファンかと聞かれると「はい」と答えることができない。他には『白痴』が好きだが、それでも『カラマーゾフの兄弟』や『白痴』という個々の作品が好きであって、作家としてのドストエフスキーや『ドストエフスキー作品』のファン、というわけでもない(いや、作品全部読んでいるわけではないのだけれど)。なので私はドストエフスキーファンないしドストエフスキー好きとは言えないのであった。(ほかにも『罪と罰』も『悪霊』も読んだが『カラマーゾフの兄弟』ほどは読み返しておらず、『未成年』にいたっては上巻の途中で放置されている有様である。アルカージイごめん)

ドストエフスキーに限った話ではない。ある作家の小説Aが好きで何度も読み返してるが、ではその作家が書いた別の作品Bを読んでいるかと言われたらそうでもないし、途中で読むのをやめてしまったりすることもある。これではその作家が好きとは決して言えない。そもそも私は多読派ではなく好きな本を繰り返し読むタイプだ。つまるところ『狭い』のである。しかし読む本は特定の作家に偏らない(シリーズ作品ならばその分巻数が嵩むことはあるが)。

そういうわけで、私は「作品と作者は別(ただし完全に切り離すことはできない)」と考えている。一つの作品の評価ないし好き嫌いが例えば作者の知名度や肩書や名声で上乗せされるものではないし、逆に作者がいかにクズだろうが逮捕歴があろうが作品そのものの価値が下がったり作品自体が嫌いになるということはないと思っている(作者本人への評価は下がるが)。あくまでひとつの作品の良し悪しないし好き嫌いと、作者本人の好感度や好き嫌いは別として考えたい。私はそのさくひんがたとえ作者自身の実体験をもとにしていようと、一つの作品として想像したからには既に作者から独立したものであると考えている。
ただし『作品』と『作者』は『完全に』切り離すことは難しいだろう。何故なら作品を生み出すのはほかならぬ作者自身だからだ。わたしだって好きな作品の作者が、例えば逮捕されたりツイッターとかで暴言吐いていたらショックというか残念に思う。しかしそれでもやはり、『作者』自身への評価と『作品』の評価をごっちゃにしてはならないし独立性は保たれるべきだろう、と私は思うのである。

うーん、……なんかすごく偉そうなことを書いてしまった。