月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

2022年の手帳事情(持ち歩き手帳どうするか問題)

前回の記事でトラベラーズノートパスポートサイズ(以下TNP)が気に行って「これを持ち歩き手帳として使っていく」と書いた。

しかしいくつか問題が発生した。

①突然の入院

実は8月の頭に交通事故に遭い、リハビリ込みで2カ月ほど入院生活を余儀なくされていた。
そのため、TNPの役割も大きく変わった。
何かというと「日記」である。
入院生活においてタスク管理などほぼしなかったので、ウィークリーリフィルに書き込む内容は入院生活の日記となった。
書き込む量自体はさほど多くないが、簡潔に何があったのか、それに対してどう思ったのかを書くだけで充分だった。おかげでちょっとした入院記録にもなり「このころからもう車椅子乗ってたのか」「このころから松葉杖に変わったんだな」などと振り返ることもできたし、入院生活やリハビリの励みになった。記録をつけることはやはり大事なのだとつくづく思った。

②マンスリーがないと不便

前回の記事でも触れたがTNPのリフィルに入れているのは
・方眼ノート
・見開き一週間のダイアリー
・ジッパーケース
・クラフトファイル
の4種類である。
マンスリーを入れていないのはウィークリーのみでも予定管理ができると踏んだからなのだが、一つ盲点があった。

それは「月単位で予定を見わたせないこと」である。

見開き一週間なので、手帳を広げると見渡せる範囲は当然一週間分のみになる。つまり集をまたいだ予定を見るのはページをまたがなければ不可能なのだ。一方月間のページがあれば「あと〇週間後」あるいは「〇カ月後」と先の予定やスケジュールが見とおしやすくなるし、過去を振り返る時もやりやすい。こればウィークリータイプものだと何ページもめくらないといけなくなる。

じゃあマンスリーリフィルを入れればいいじゃないか、と思われるかもしれないが、そうなるとリフィルは3冊になる。3冊挟めることは挟めるのだが、分厚くなるし、公式の挟み方だと真ん中が飛び出てよろしくない。かといって3冊挟めるように真ん中のゴムを増やすなどするカスタマイズも手間だ(トラベラーズノート好きの人ごめんなさい)

というわけで最初からマンスリーがついているほぼ日手帳オリジナルに再度白羽の矢が立った。TNPに比べたら大きく嵩張るのだが、厚めの文庫本を持ち歩いていると思えば苦ではない。

③時間目盛りはなんだかんだ便利だった

①でも書いたようにTNPが日記になったので、ほぼ日手帳が再度予定管理タスク管理をする手帳として役割が復帰した。
マンスリーだけではなく、デイリーページにある時間目盛りもその復帰理由となった。
入院生活においてタスク管理は必要ないと言ったが代わりに必要になったものがタイムスケジュールだった

例えばリハビリの時間はリハビリの先生が紙に予定を書いて渡してくれる。それに合わせて入浴の時間などを組まなければならなかった。そういう時にデイリーページの時間目盛りはかなり便利だった。何時から何時までが空いている、空き時間が可視化できるのだ。もっともそれ自体はスマホでもできるし最初はそれでやろうとしたのだが入力が正直面倒だった。手書きの方がさっとかけて楽だった。

では持ち歩き手帳はどうするか?

そんなわけでほぼ日手帳が再度持ち歩き手帳に浮上してきたのだが、かといってせっかく買ったTNPを家に置いておくだけにするのも何だかもったいなかった。クラフトファイルやジッパーケース、ノートリフィルといったものもせっかくなら活用したかったのだが、家置きの日記として使う場合はウィークリーのみで充分となる。そういうわけで出した結論は…

シチュエーションに応じで持ち歩く手帳を変えればいいんじゃね?

どういうことかというと、
鞄に入れて持ち歩く時=ほぼ日手帳
ポケットに入れて持ち歩く時=TNP

ほぼ日手帳のオリジナルサイズは文庫本と同じ大きさなのだが、厚みがあり、更にカバーもつけるとなると上着のポケットには入らない。
逆にTNPはその名の通りパスポートと同じ大きさなので上着のポケットに入る。つまり鞄を持たずに近所を散歩したりちょっとコンビニに行く程度なら持ち歩きがしやすいのだ。
またジッパーケースをセットでつけている為、ちょっとしたお金を入れて財布代わりとして活用しやすい。コンビニに行く程度ならちゃんとした財布を持ち歩く必要もない。またジッパーケースはカード入れとしても活用できるため、使ってないポイントカードを入れるにも便利であるし、クラフトファイルは購入した切手や振り込みの領収書も挟める。

というわけで持ち歩き手帳に関してはメインはほぼ日手帳オリジナル、サブでTNPを使うという結論に落ち着いた。この形で運用してみてもしこれでうまくいきそうだったら来年もこれで継続していきたいと思う。

トラベラーズノートが滅茶苦茶気に行った件

ここ2か月ぐらい全くブログを更新していなかったのでそろそろやっていきたいと思う。
基本的に私のブログは何もレイアウトを考えずに思いついたことをダラダラとくっちゃべっているだけなのでもう少し画像を加えたりリンクを貼ったりを改良を加えたい。

ということで今日のテーマはタイトル通りのネタである。

トラベラーズノートについて詳しい商品説明は公式サイトのリンクを貼っておくのでそこを参照にしていただきたい。

www.travelers-company.com

トラベラーズノートを買った理由

端的に言えば「欲しくなったから」である。つまり「物欲に負けた」というのが正しい。
元々トラベラーズノート自体にはさほど興味は無かった。カバーが高いしカスタマイズ面倒くさいし…と思って手を付けていなかった。だったら普通の綴じノートを使ったほうがいいだろうと。
しかしある時急にほしくなった。ノートも手帳もあるだろう、これ以上増やしてどうする?という葛藤の末…ついに購入してしまったのだ。

システム手帳と綴じ手帳のいいところ取り

トラベラーズノートの作り自体は極めてシンプルだ。牛革のカバーにノートを挟むためのゴム紐としおり紐、ノートを閉じるためのゴムが各一つずつ装着されている。それに様々な種類のリフィルを好きなように挟んでカスタマイズできる。
カスタマイズ性ならばシステム手帳の方がおそらく勝るだろう。リフィルを使う分だけ。隙間分だけ、その気になれば何種類も入れ替えられる。しかしシステム手帳はリングを開閉させたりするため、リングが書いている時に邪魔になったり、リングの開閉音がうるさく感じることもある。そして何より高い。(もちろん安いシステム手帳もある)
トラベラーズノートはこのリングがない。付属のゴム紐でノートを装着できるし別売りの連結バントを使えばノートを3冊ぐらい綴じられる。つまり「リングが手に当たる」というわずらわしさがないのだ。
そして綴じノートと違うのはリフィルを入れ替えれば何年も使えるという点である。革は使えば使うほど味が出てくる。そうしてノートに愛着がわいてくるし、何か書きたくなり、持ち歩きたくなる。

1か月使ってみた感想

私は6月の終わりぐらいからトラベラーズノートを使い始めた。トラベラーズノートのサイズはレギュラーサイズ(A5スリム程度)とパスポートサイズ(B7サイズ程度)の2種類ある。私が選んだサイズはパスポートサイズで、現在は4種類のリフィルを入れている(以下TNPと呼称)。

・方眼ノート
・見開き一週間のウィークリー
・クラフトファイル
・ジップケース

ノートリフィルは敢えて2冊に留めた。3冊だと分厚くなってしまうからだ。

使ってみた感想を一言で述べると「すっごくいい!」であった。ペンは別売りのペンホルダーに挿すことも考えたが、敢えてゴム紐に挟む形にした。パスポートサイズは実にコンパクトでかつ小さすぎないため、持ち歩き手帳としては最適すぎた。(煽りを食らって?ほぼ日手帳は家置きになった)

使い方としてはウィークリーにその日の予定やタスクをバレットジャーナル方式で書きだし、方眼ノートには思いついたことをメモするという感じだ。(そのため最近MDノートの出番が減ってきたがMDノートはどちらかというと机でじっくり書く時に使ったりライフログとして使っているノートなので役割分担は一応できている)ジッパーケースには絆創膏や予備のお金、クラフトファイルには貰ったクーポン券なんかを入れている。

いや本当に買ってよかった、トラベラーズノート

これからも大事に使っていきたい。いや、ガシガシ使っていきたい。

『ツイッターノート』という使い方

100記事目の記事であるが、今回もノートのことになる。

以前私は「モーニングページを始めてみたけど結局やめた」という記事を書いた。今もモーニングページは書いていない。やはり早起きはきつかった。

しかし頭や心のモヤモヤ、独り言みたいなことを気軽に書けるノートが欲しかった。「なんでもノート」であるMDノートはこうした「吐き出し」にはいまいち使えなかった。何故なら「なんでもノート」は考え事の「整理」と記録をメインにしているからである。読み返すことを前提としている面もあるため、あまりマイナスなことは書けない。ということでもっと気軽に色々と書きしたかったのだ。そう、例えばツイッターみたいに短い文章で吐き出せるノート…

そんな時ふと手持ちのロルバーンミニやロルバーンMサイズにモヤモヤやイライラを書きだしてみた。少々イライラすることがあったため、ノートを折り返して横向きにし、片面のみを、ツイッターで呟くような感覚でペンを走らせた。頭の中の言葉をひたすら書いていくので字は汚く読みづらいし読み返したらおそらくかなり支離滅裂だ。それでも連投ツイートのように、140文字以内に収まるような短文を何ページも書いていった。

するとどうだろう。かなり気持ちがすっきりした。モヤモヤやイライラが取れ、冷静さを取り戻した。別の視点の考えも浮かび、気持ちも前向きになった気がした。

Q:あれ、書きだすと逆にストレスたまるとか言ってなかったっけ?

A:はい、言ってました。

今迄と書いていることが違うじゃないか!と怒られるかもしれないが、実際やってみたら本当にすっきりしたのだから仕方がない(えー)

おそらくツイッターのように思ったことをノートに「ツイート」していったのが功を奏したのだろう。だれにも見られないしRTもいいねも無い。フォロワーもいない。しかしだからこそ思ったことを誰かに読まれることを前提とすることなく気兼ねなく呟ける。クソリプも変なエアリプも飛んでこない。スマホがノートとペンに変わるだけでかなり違ってくるのだ。神なので書くのが寝る間際であってもブルーライトを浴びることも無い。

これはモーニングページや日記、或いはバレットジャーナルに挫折した人にもかなりおすすめかもしれない。小さめのノートならば余白があっても片方しかページを使わなくても気にならない。時間を選ばずにできるしスマホやほかのノートと一緒に持ち運べる。手持無沙汰もある程度解消される(周囲から奇異な目で見られるかもしれないが)。読み返すことを前提としていないから字が汚くてもいい。だれにも見せないから生える必要性も皆無だ(ただ気分を挙げたいとか気分転換したいという場合はマステでデコったりコラージュしたりするのはいいかもしれない)スマホでとった画像をプリントアウトしてノートをはりつけたりしてミニブログとして活用するのもありだろう。

そしてこの『ツイッターノート』として使えるノートが、ロルバーンである。Lサイズでは大きいため、Mサイズかミニサイズがおすすめだと思う。ロルバーンはリングノートのものであれば折り返して使えるし、表紙も硬いしページの後ろに厚紙が2枚ついている。机がなくても安定してペンを走らせることができるのだ。いつも使っているペンを表紙に挟んで持ち歩けば、『ツイート』したいときにノートを開き、気軽に『呟く』ことができる。(リングに挿して持ち運ぶことがいちばんいいのだが、通常のロルバーンのリングだと挿せるペンが限られてくる。かといってカスタマイズ用として売られているペンホルダー付き下敷きはいまいち使いにくかったりする)

というわけで100記事記念(?)の記事を終える。

ノートを最後まで使い切る方法5選

本日2本目の記事。これが99記事なのであと1回更新すれば100記事になる。100回目の記事は何にするかは今から考え中である。どうしようかな。

さて、前回「ノートを使い切れない理由」という記事を書いたのだが、なんか思いのほか長くなってしまったので「じゃあどうすればいいのか」という解決策を新たに書くことにした。

①ノートを使い切ることを目的にしない

前回の記事で触れたことだが、ノートを使い切ることを目的化してしまうとかえってノートを使い切れなくなる。ならばノートを使い切ることを目的化させないことが大事になって来るのではないかと思う。
学生時代を思い出してみると、ノートを科目ごとに使ったり勉強のためのノートを使っていた。ノートは1年の間同じものを使っていたという人はおそらく少ないだろう。では当時、果たしてノートを使い切ることを目的としていただろうか。
答えは「NO」である。

ということは重要になってくるのは「ノートを使い切る」ことではなく「何のためにノートを使うか」「ノートに何を書くか」になってくるのではないだろか。

ノートというのは書くなり貼るなりしなければページは消費されない。何を書くかを決めなければ埋まるものも埋まらないのである。何を書くかを決めて(特定のテーマでもいいし、それこそ『思いついたことを何でも書く』でもいい)それに沿って書きとめておきたいものを書いていく。そうするとおのずとノートのページは埋まっていく。特定テーマしか書かないノートであれば消費が遅くなるが、別に1冊のノートを2年ぐらいかけて使っても構わないと思う。日記とかでも同じことが言えるが、書くことを途中でやめてもまた続きから再開すればいいだけの話なのだ(気になるならそのページを開けなくしてしまうのもあり)

②ノートを分けすぎない

前回の記事でも書いたが、「これは○○用」「これは××用」「これは…」と使い道を細かく分けていくと、管理するノートの冊数が膨大なものになり、キャパオーバーを起して使いきれないノートが山積みとなってしまう。ならば、例えば「何も書き留めるノート」みたいにある程度一冊にまとめてしまってもいいジャンルは一緒にしてしまうのも手だ。或いはジャンル別に分けるのをやめて「なんでもノート」1冊にしてしまうのも手だろう。

③ノートに書く内容を変える、書き方を変える

②と重複するが、例えば勉強用ノートとして買ったはいいものの、3日ぐらいしか続かなくて挫折したノートがあるとする。では今度はそのノートに全く別のものを書いてみたらどうだろうか。日記にする、読書ノートにする、食べたものを記録するレコーディングダイエットに使ってみる…などだ。それでまた続かなかったら、今度はまた別のことを書けばいい。或いは書くのが面倒ならばコラージュしてみたり、お菓子の包みを貼ったり本の帯を貼ってみるとかレシートをひたすら張ってみたりするのも良いだろう。後から見返すとカオスなことになるが、それはそれで味だと思う。
また、例えばリングノートの場合だとリングが左ページにあたって書きにくいということがままある。この場合、ページの片側だけ使ってしまうというのも一つの手だ。そんなの勿体ないじゃん!という人は敢えて折り曲げた状態で横向きにして使ってみるのもありだろう。そうすればリングが手に干渉することは無い。
ちなみに私は以前、綴じノートではあるがページの左側から書く、ということをやったことがある。その結果、分厚いノートが1か月足らずで消費されたこともあった。
ノートというのは使い方は自由であるし「こう使わないといけない」というものはない。自分が書きやすい形で書くことがいちばんいいのだ。

④お気に入りのペンを使う

私は昔、日記を続けられない人間だった。だいたい長くて1か月程度で飽きてしまうか面倒になってやめてしまってた。しかしそれから万年筆にハマり、それで日記を書くようになった結果、日記が何年も続くようになった。
このように、自分が気に行ったペン、好きなペンを使うことで、書くことが楽しくなりってくる。書くことが楽しいと、ノートに何か書きたくなってくる。

⑤ノートに愛着を持たせる

今はコロナ禍で外出が難しいが、ノートを持ち歩くのもノートを使い切るコツだと思う。何故なら持ちあることでノートに対して愛着がわいてくるからだ。そのうちそのノートを使い切ることが惜しくなってきたり「あーもう残りこれだけしかページがない」という状態になって来る。鞄に入らない!という人もいるかもしれないが、鞄にノートのサイズを合わせるのではなく、ノートのサイズに鞄を合わせるのだ(※鞄の方が高いだろというツッコミはなし)。というのも、経験上いくら持ち歩きに便利だったとしても自分が使いにくいと思ったらそのノートは使わなくなってしまうからだ。ならば鞄のサイズを変えたほうがいいだろう。
また、愛着と言えば表紙をカスタマイズしたり、ノートカバーをつけてみるのも手だ。以前私はキングジムのレザフェスというノートカバーにノートを挟んで使っていた。使い終えるとノートカバーからノートを抜き、新しいノートと交換して使う。これを繰り返していた。MDノートとかはシンプルな表紙だが、ノートカバーに挿すことで見た目もオシャレになる。ノートカバーに入れられない、例えばハードカバーのノートであればステッカーやシールを張ってカスタマイズしてしまうのもいいだろう。

以上、ノートを最後まで使い切る方法を5つ上げてみた。だが一番そもそも使い切れないノートが量産されてしまうのは何故なのか。
それは物欲に負けて買ってしまうからである。
ならば一番の対策は「買わない」こと、むやみに増やさないことが重要になって来る。

それができれば苦労しないのだが…。ということでこの記事を終える。

ノートを使い切れない理由5選

私は現在「なんでもノート」としてMDノートのA5サイズ(方眼)を使っている。この「なんでもノート」は5年ほど前から書き始め、1冊のノートに本当に何でも書いた。資格勉強にも使ったし、バレットジャーナルとして運用したりもした。使うノートも今でこそMDノートに固定されているが、以前は様々な種類のノートを使った。大半は処分してしまったものの、試行錯誤を繰り返しながら現在もこのノート週間は続いている。

とはいえ使い切れなかったノート、挫折したノートもこれまでたくさんあった。もったいないと思いつつ「ノートを使い切れない自分」が嫌で断捨離してしまったが、今でも実は「使い切れずに挫折したノート」はある。ということで「何故ノートを使い切れないのか」を自分なりに考えてみることにした。もし「ノートを使い切れない」人がいたらこの記事を反面教師にしてもらえれば幸いである。

①物欲に負けた
ノート好きあるあるみたいなものだが(本当?)気になったノートがあると「欲しい!」と思って買ってしまう。今はSNSや手帳・ノート系のYouTube動画を見るのが結構好きな私としては「あーこのノートいいなあ」「こんな使い方ありかもなあ」とかぼんやり考える、そしてフラーっとロフトなどに立ち寄ってノートコーナーをうろうろし、気が付いたら手に取ってレジに並んでいたりするのである。或いはノートを手に持ってどうしようかなと悩んだ末に購入する。特に限定品やセール品で気に入ったものがあると「もしかしたら次に来るときは無くなっているかもしれない」という気持ちが沸き上がって買ってしまうのだ。
これは飢えた野生動物がようやく見つけた食べ物を食べれるうちに食べておくみたいなのに似ているかもしれない。野生では次に食べ物にありつける保証が無いからだ。物欲に負けて購入するのは人間の本能として当たり前のことなのだ(本当?)
とにかく「物欲に負け」て買った結果、未使用のノートが溜まっていくことになる。しかし問題はそこではない。溜まっているなら使えばいいからだ。ではなぜノートが使いきれなくなるという問題が発生してしまうのか。

②ノートが使用用途に合ってない・またはノートが自分に合っていない

文房具というのは実際に使ってみないと判らない部分がある。「こういう使い方がしたい」「こういう風に使いたい」と思って買ってみても「何か思ったのと違う」ということが度々、いや、しょっちゅうある。
例えばノートのサイズである。これは自分の場合なのだが、「なんでもノート」として使う場合、A5サイズより小さいノートというのが自分にはことごとく合わなかった。A5サイズは大きいし嵩張るので小さめのノートの方がいいのでは?と思ったのだが、ノートが小さくなるということは当然書くスペースも小さくなる。物足りないというよりはノートにあれこれ書くときに窮屈になる。かといってA5サイズより大きいと逆に紙面を持て余すため、自分にとってはA5サイズがマストになった。
また、小さいノートに思いついたことやメモしたいことを書き留めてA5サイズのノートに転記する、ということも考えたのだが、実のところ転記するのが結構めんどくさい。だったら大きめの付箋なり小さなメモパットを携帯して書き込み、それをノートに張り付けたほうが個人的には手間がかからないし、貼り付けたメモをもとに後からあれこれ書き込むこともできる。
逆にA5サイズが合わないパターンもある。自分にとっては日記がそれにあたる。一般的に売られている日記帳がB6サイズなので以前はそれが合っていたのだが、今は日記にさほど書かなくなったので(日記自体は続いているものの)A6サイズでも事足りるようになった。また、仕事用にバレットジャーナルのような手帳としても使う場合は、ロルバーンのMサイズぐらいの大きさで1日1ページ使うのがわりとちょうどよかった。これは業務の内容にもよるのでまた使用感が変わって来るかもしれない。

③ノート自体が自分にとって使いにくい

②と内容が被るが②が長くなりそうなのでちょっと分けた。
例えばノートは大まかに綴じノートとリングノートに分けられる。どちらが使いやすいかは好みによる。自分は昔はリングノートが好きで今も好きなのだが、使いやすさで言えば個人的には綴じノートに軍配が上がる。何故ならリングが干渉しないからだ(今はリングが手に当たらなかったりリング自体が柔らかいノートもある)。リングが干渉するのが嫌な人はリングノートは合わないだろうし、ノートを折り返して使いたい人にとっては綴じノートは合わない。といったこともある。タスク管理のような一時的なメモならロルバーンミニのような小さなリングノートが役立つが、思考整理をしたいといった用途であればA5サイズの綴じノートが個人的にはマストである。

またノートのフォーマットや紙質、書き心地も合う合わないがある。以前の私は罫線ノート派だったが今は方眼ノートがすっかり好きになった。方眼ノートはある程度自由度があるのと、ハビットトラッカーなど自分でフォーマットを作りたいときにマス目が役立つ。罫線ノートは日記などの文章を書く時に「今日は何行書いた」とかそういうのがぱっとわかりやすい。読み返すときにわりと重宝するのは罫線ノートかもしれない。
自分にとって意外と使いにくかったのは実は無地だった。ノートをきれいに書く必要は無いが、見返した時に文字列がゆがんでいたりするとテンション下がる。モレスキンの無地を仕事用バレットジャーナルとして使っていた時期もあったのだが、無地だとフォーマットが作りにくいという難点があった。言うなれば「ノートとしての自由度が高すぎた」のだ。
あとドット方眼も実はいまいち合わなかった。なんというか方眼なのか無地なのか、どっちつかずな印象がぬぐえなかったのと、ノートによってはドットが濃すぎてペンで書いた字と判別つかなくなることもあり「このドット邪魔だなあ」と思うことがしばしばあった。また、ハビットトラッカーやグラフを作る時にわざわざ線を引かないといけないのも結局手間だった。(方眼や罫線であればそのマス目や線を使える)そのためバレットジャーナルのノートとして一時期使っていたものの、今は全く使わなくなってしまった。
ということで「これ合わないなあ」と思うと使わなくなり、未使用ページが大量に残ったノートが出来上がってしまうのである。

④分冊しすぎる

私自身はノートや手帳を分けて使っている。何でもかんでも1冊でまとめる必要は無いし、分ける必要があるものは分けたほうがいい。
ただ自分のキャパ以上に分けすぎてしまうと、ノートの管理が大変になる。そうすると、使い切れないノートが大量に生まれることになる。自分が何冊までなら管理できるかを把握することは結構大事だと思う。だから同じノートに書いていいものは統合してもいいと思う。

⑤ノートを使い切ることを目的にしてしまう

最初から厚手のノートを使うのはハードルが高すぎるため「最初は薄いノートを使って最後まで描き切ることを目標にしてみよう」というのもある。それは確かにその通りなのだが、自分的には「ノートを最後まで使い切ることを目標にするとかえって使い切れなくなる」と思う。1冊目はそれでうまくいっても2冊目以降はその限りではない。二年目の壁ならぬ2冊目の壁である。
何故なら1冊目を使い切った=目標達成という時点である程度満足しまい、その熱意やモチベーションが2冊目になかなかいかなくなるからだ。①で物欲に負けてノートを買いすぎたから消費したい!という人が陥りがちな罠だと思う。(私だ)
また、ノートを書くこと自体を目的化してしまうと、ノートを書くことが苦行になってしまう恐れがある。「ノートにこれを書いておきたい」「これをノートに書きたい」ではなく「書かなきゃ!埋めなきゃ!1冊使い切らなきゃ!」となる。日々の仕事や家事で忙殺されたりその日の体調或いはストレスでノートを書く気分にならない日も当然ある。ノートは書いたり貼ったりしない限り(破ることはあるが)ページを消費することはまずないため、書かない日は当然ノートが消費されない。しかし「ノートを使い切る」ことを目的化してしまうとこれ自体がストレスになる。更に物欲で負けたノートがたくさん残っていると「早く使い切らないと!」と焦りの気持ちを生み出す。するとますますノートを使わなくなってしまう。欲しくて買ったはずのノート、好きで買ったはずのノートが自身を苦しめることになるという本末転倒なことが起きてしまう。で、結局使いきれずに勿体ないと思いつつ断捨離する羽目になったりする。

ということで自分の経験に照らし合わせた「ノートを使い切れない理由」を5つ上げてみた。じゃあどうすればいいのか?という自分なりの解決策については次回の記事で取り上げたいと思う。

泥努と残花少尉の関係を考察する理由

私の考察は基本的に「狭い」。作品全体の考察とか作者が語りたいテーマとかそういう考察はあまりしていない。読書感想も「自分が気になったところ」をピックアップして書いていることが多い。何度も読み返しながらその「狭い」範囲を中心にして「あのキャラはどうしてこんな行動をとったのか」「あのシーンはこういうことだったのかな」と考察範囲を広げて作品全体の考察に行きつく。
例えば「カラマーゾフの兄弟」に関してはアリョーシャとスメルジャコフの関係からスメルジャコフ周りの人間関係(例えば彼の恋人?であるマリヤや育ての親であるグリゴーリイとマルファなど)の考察を描かれている描写からあれこれこねくりだしたり「こうなんじゃないの?」と考えたりしている(と言いつつほかの人の意見も参考にしたりはしているので自分一人で読み解いたわけではないのだが…)。作品全体のテーマ、例えば神はいるのかとかキリスト教の話とか第二の小説の話とか作者ドストエフスキーの背景とかはほかの人に任せて当ブログでは扱わない。そもそもこの手のテーマは専門家だったり他の読書レビューやドストエフスキーファンの人が散々触れているのであまり額もないし読解力がポンコツな自分が触れていいテーマでもないと思っている。

双亡亭壊すべし」に関しても作品のテーマとか作者自身の芸術論とかそういうのはほかの人たちが散々語ってくれるので当ブログでは脇に置き、語るのは主に双亡亭の主・坂巻泥努と彼の幼馴染である黄ノ下残花少尉の関係に絞っている。他キャラのことも語ることはあるが、基本的に扱うテーマはこの二人の関係を中心としている。今回は考察というよりもなぜ泥努と残花少尉の関係を軸に扱うのかをちょっと語ってみたい。

①2人の関係に興味がある
当たり前だろうと思われるかもしれないが、人間興味がないことに対してあれこれ考察したり考えようとはしないものである。何故「好きだから」ではないのかというとこの「興味」というのは「嫌いなもの」に対しても向けられることがあるからだ。この「興味」によって「嫌いだったもの」が「好き」まではいかなくともそうでもないレベルに上がることもあるのである。やはり「知る」とは大事なものだ。

で、私が何故二人の関係に興味を持ったのかというと、単に残花少尉が推しだからというのもあるのだが、二十三巻で見せた泥努の残花少尉への態度が意外過ぎたからである。それまでの泥努は亡き姉や同じ絵描きの凧葉、モデルとして連れてきた巫女の紅への執着や興味については描かれていたのだが、他方で幼馴染である残花少尉に関しては興味も関心も無いといった素振りだった。2人が昭和7年に再会したシーンを読んでも泥努と残花少尉は会話が通じず、更には絵の中に引きずり込む。凧葉と初めて出会った時、更に彼と絵の話をしている時との態度と比べてみても落差がありすぎた。22巻までの印象としては残花少尉が一方的に泥努に友情や執着を見せている、一方通行な関係性に見えた。
ところが、二十三巻でそれまで描かれていなかった泥努の残花少尉への執着、彼に向ける重い感情が剥き出しになった。唐突感があったものの正直読んでいて驚いた。それまでの泥努ならば残花少尉から「何故嗤ったのか」を聞かれても「どうでもいい」「お前の話はつまらん」「それより紅をモデルに絵を描きたい」と切り捨てただろうと思えた。紅との交流で彼の内面に変化が生じ、凧葉から会話の大切さを諭されたにしても、だ。凧葉の「交通整理」によってこじれた関係は解消されたのだが、もしも泥努が残花少尉に対して何の感情も向けていなかったとしたら、いくら凧葉といえども難しかったのではないかと思う。(凧葉は残花少尉と共に双亡亭にやってきた少女、帰黒から彼と泥努の関係を聞いていたが、その後で紅の弟である緑朗から、かつて霊体になり、泥努の体内にかくまわれ時に彼の中で見たものを凧葉にテレパシー(?)で伝えた。この緑朗からの情報があったからこそ、凧葉は泥努が笑った本当の理由を察することができたのだ。緑朗君何故それを少尉に伝えてあげなかったのか
そんなわけで泥努からも矢印が向けられていることが発覚したことで、自分は二人の関係に興味を持ったのである。(別に腐った意味ではない)

②語る人が少ない
前述した「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャとスメルジャコフの関係もそうなのだが、いかんせん残花少尉と泥努の関係を語る人がヒッジョーに少ない。泥努は主人公、凧葉との関係が主だし残花少尉は彼に恋する少女、帰黒との関係について語られることが多い。(特に前者に関しては作者というか公式が率先して推しているのもあるのだが)つまるところ泥努と残花少尉の関係についての考察とか感想とか何なら二次創作とか漁っても滅多に出てこないのである。そういうわけで自分の考察や妄想をネットの海に漂わせるほかない。自分が読みたいものがなければ書くしかない、ということになる。

③泥努からの矢印がわかりづらい
①にも書いたが、泥努は凧葉や紅、姉のしのぶに関しては判りやすい執着や好意を向けている。ところが残花少尉に関してはそれが判りにくいのだ。例えば残花少尉が誤解した泥努の気持ち悪い笑顔が実は残花少尉と再会したことや一緒に龍宮城に行けることが嬉しかったなどと「誰が判るかあんなの」と言いたくなる。繰り返すが凧葉が泥努の真意を知れたのは緑朗によって伝えられた情報が大きい。(泥努は緑朗を「唯一の鑑賞者だから」と助けたが、彼自身の内面を知られることは想定済みだったのだろうか…)確かに読み返してみれば泥努が残花少尉を引き込んだときに見せた笑顔と、由太郎が姉の首を絞めた時に見せた歪んだ笑みが一緒なのだが、初見ではまずわからない。読み返してもわかりづらい。おまけに部下ごと絵に引き込むという「ひどい目に遭わせている」最中なのから、誤解されるのも当然だろう。でもあのまま普通に笑いながら絵に引き込んだらそれはそれで怖い。この「判りづらさ」は二人をすれ違わせるためにわざとそう描いているのだろう。
また、残花少尉が泥努=由太郎のことを語ることはあっても、泥努が残花少尉や彼との思い出を誰かに語ることはほぼ無い。残花に関する回想はほぼ泥努の脳内で思い浮かべていることであり、他の誰かに語ったわけでは無いのである(いじめられていたのを助ける、龍宮城の話、縁側のある家のコマ)。この泥努の「判りづらさ」に関してはまた別の記事で挙げてみたいと思う。

最後に自分的にも深くうなずきたくなった泥努の名言を引用してこの記事を終えたい。

人間は意味から離れて初めて「自由」になれるのだ。

意味がわからないことこそ、人は色々と想像して脳で遊び愉しむことができるのだぞ。

(「双亡亭壊すべし」第205回)

 

残花少尉の肖像画考

「双亡亭」の主である坂巻泥努は、『侵略者』である黒い水を絵の具として使い、絵を描き続けていた。彼が描いた『絵』は『侵略者』の母星を繋ぐ門であると同時に、その絵を見た人間を中に引き込んで、彼らが身体を乗っ取るための『更衣室』でもあった。『侵略者』は絵に引き込んだ人間のトラウマを抉り、恐怖を与えて心を壊す。それを可能にしているのが泥努が描く『肖像画』であった。泥努は物事が色で視える能力があり、その能力で侵入者の過去を見、それを『絵』に練り込んでいく。故に泥努は凧葉と初めて会った時、こう言った。「私の芸術表現は『診察』に他ならない(第三巻)」。(そのため青一の「心の傷」として両親と『キョウダイ』のマコトが笑っている絵やマーグ夫妻の愛娘であるメアリーの絵を描くこともある。特に青一に関しては彼の肖像を描きかけて「こっちの方がいいか」とわざわざ描き直している。小学六年生の子供に対してひどい仕打ちである)

世間では全く画家として評価されていない泥努だが、彼の画力自体は高い。彼が描く『肖像画』は本人にそっくりであり、一国の総理大臣が気に入って壁に飾るほどだ。(ただしその総理爆死したけどな!)作者本人が描いているのでそっくりなのはまあそりゃそうなのでだが、一人だけ全く異なった絵柄で描かれた人物がいる。

残花少尉である。

残花少尉の肖像画が描かれたのは昭和7年5月15日。憲兵隊長として部下たちを率い、5・15事件の犯人を追って『双亡亭』内に侵入した残花少尉は、そこで幼馴染である坂巻泥努と再会した。その時部下たちは突如出現した自分の肖像画の前で立ち尽くしていた。そして残花少尉も泥努が描いた肖像の中に気持ち悪い笑顔を向けられながら引き込まれていった。残花少尉は全身の皮膚を失うという大怪我を負いながら『絵』から脱出したが、彼の部下たちは残らず『侵略者』に乗っ取られてしまった。

だがその時に泥努が描いた肖像画は、凧葉や紅といった『破壊者』たちや、当時中学生だった斯波総理と桐生防衛大臣、彼らの幼馴染だった『ナナちゃん』といった『双亡亭に侵入した者たち』の肖像画、更にはわざわざ送り付けてきた総理大臣の肖像画とは明らかに絵柄が異なっていた。作中に登場する泥努と凧葉の絵は全て作者の元アシスタントであるはこたゆうじ氏によるものなのだが、残花少尉の肖像画もはこた氏の絵なのである。他の肖像画が作者本人の絵なのに、何故残花少尉だけが異なる絵柄になっているのだろうか。(画像を添付したいが漫画のコマを乗せるのは抵抗あるので実際に少尉と他キャラの肖像画を比べてみてもらいたい)泥努が残花少尉を『診察』した結果あの絵柄になったのだろうか。それとも昭和7年時点と総理の絵が初めて送られた昭和13年ごろとは絵柄を変えたのだろうか。

最初は幼馴染に対して思い入れが無い、或いは兵隊の絵なんて描きたくなかったからだと考えた。或いは絵を理解しない幼馴染への嫌がらせとしてわざと似てない肖像画を描いたのか、とも。しかし泥努は残花少尉に対して思い入れがないどころが寧ろ逆であることが23巻で判明した。泥努が少尉を絵に引き込んだのはかつて子供の頃に残花が言った言葉「オレと由ちゃんと二人で龍宮城に行ったらええんじゃ」(第二十三巻)を泥努が覚えていたからであり、泥努が気持ち悪い笑みを浮かべたのも友人と再会した、一緒に龍宮城に行けるという気持ち悪い無邪気な喜びだったのだ。

また、泥努は女性自衛官の宿木や彼女の部下である森田の肖像画も描いているが、いずれも作者の絵であり残花少尉の肖像画のような絵柄ではなかったし、泥努は絵を描くということに関しては真摯に向き合っている。そのため『侵略者』に乗っ取らせるための『肖像画』は描くもののわざと誰かを貶めるような絵を描くとは考えにくい。そもそもそういう絵を描くこと自体、泥努のプライドが許さないはずだ。(多分)

では残花少尉の肖像画が何故はこた絵なのか。先にも述べたが凧葉と泥努の絵は全てはこた氏によるものだ。それらが活躍するのは最終決戦の時であり、凧葉も泥努も真剣に、相手と向き合いながら絵を描き続けた。そして泥努が『完成したら門を開く』と言っていた、アトリエの巨大な絵。あの男女が向き合う絵もはこた氏の絵であるし、もっと言えば泥努が『絵の具』を手に入れて最初に描いた幼い頃の姉の絵もおそらくははこた氏の絵だ。つまり泥努の『描きたいもの』に関してはあの絵柄になると考えていいだろう。
泥努が残花少尉を『絵』に引き込んだ理由は、『一緒に龍宮城に行く』という幼い頃の『約束』を果たしてもらうためである。もっというと残花少尉を引き込んだときに見せた笑顔は病んだ姉を絞殺した、つまり「姉ちゃんを連れ戻した」(第八巻)喜びの笑顔だった。「これで残ちゃんとずっと一緒にいられる!」という歪んだ友情の笑顔なのである。残花少尉の肖像画だけ異なる絵柄になったのは、再会した幼馴染を何としても龍宮城に連れて行きたいという泥努の強い気持ちの表れだと考えられるのだ。(あのあたりを読み返してみると普段部屋に引きこもっている泥努がわざわざ廊下に出てきたり、少尉の目の前でライブドローイングをやって見せたり、絵を普通に壁にかけておいておけばいいのにわざわざえを自分の手に持って残花少尉を絵に引き込んでいる時点で泥努が残花少尉に対して「特別な感情」を抱いているということがうかがい知れる描写がちらほらある。)

ただ疑問なのが、泥努は残花少尉が『侵略者』に乗っ取られることを是としていたのか?である。見た目が残花少尉ならば中身は侵略者が演じている偽物でも構わなかったのか?と。自身が描いた『姉さん』が絵から出てきたとき、泥努はその手を取り、絵の中へと入ってしまった。それを考えると中身が別物になっても構わなかったのだろうか。

おそらく答えは否である。

『侵略者』は泥努と意思疎通をするために人の形をとった。それが『しの』なのだが、彼女(?)は泥努が描いた姉の姿をモチーフにしている。だが泥努の『しの』の扱いは好いと言えないどころかかなり悪い。気に障ること(例:絵を描くことを邪魔される)をすると途端に念力で吹っ飛ばされたりする(ひどい…)泥努にしてみれば『しの』も自身の芸術のための『絵の具』にすぎないのだ。そんな泥努が『侵略者』に乗っ取られた残花少尉をかつての『幼馴染』として扱うとは思えない。樺島のように「お前は死のうか」(第九巻)と中の水を全部抜かれる仕打ちを受けることも十分考えられる。

また先述のとおり泥努は物事を「色」で視る。「うらしまたろう」の歌を歌ってもなにも思い出さないどころか自分に対する「怒り」と「憎しみ」の色しか見せなくなった残花少尉に対してはげしく激昂し、欠損した右腕を生やして(!?)残花少尉を絞め殺そうとした。更に凧葉の介入によって冷静さを取り戻したとはいえ、自身を「化け物」呼ばわりする(これは少尉もひどいよな…)残花少尉に対し「前とは違う」「短絡ですぐ怒気を現す完全な兵隊に落ちぶれた」(第二十三巻)と拗ねた言い捨てた。そして残花少尉が約束を思い出し、謝罪して龍宮城へ行くと宣言するまで「名も無き兵隊」呼ばわりしていた。龍宮城へ行くと宣言した途端に『残花』呼びに戻ったのはちょっと笑ってしまった。
ということは泥努にとって重要なのは見た目が本人かどうかではなく、中身ないし残花少尉自身の『色』だったのではないだろうか。そのため泥努にとって泥努に対する「怒り」と「憎しみ」の色しか視えない「名も無き兵隊」はもうかつての友ではないと思ったのだろう。残花少尉は泥努=由太郎に対して「元はそんな男ではなかった」(第十七巻)と口にするが、泥努も残花少尉に対して同じ気持ちを抱いたに違いないのだ。いや泥努の自業自得ではあるんだけれど。

また、泥努は自身も下半身と右腕が喪失した状態であったにもかかわらず(なんでその状態で生きているんだとは言わない)是光戦で瀕死の残花少尉のことを助けているし、彼が泥努を庇って瀕死状態になっている時は未完成だったあの巨大な『絵』から『侵略者』を出して残花少尉の傷を治そうとしていた。自身が瀕死になった時ですら門を開かなかった絵を、残花少尉の傷を治すために使おうとしたのだ。もっと言うと是光戦の時に苦戦を強いられながらも凧葉と泥努の二人を守りつつ戦う残花少尉がすでに限界であることを見抜き「諦めて逃げろ」(二十二巻)と促している。その泥努が、残花少尉が『侵略者』に乗っ取られることを是とするとは思えないのだ。

おそらくだが、泥努としては自分と同じように残花少尉に自我を保ったまま『侵略者』を『支配』し、不老不死の存在になってほしかったのではないだろうか。或いは残花少尉の肉体を『支配』した『侵略者』を泥努が更に支配し、残花少尉の人格を保たせる算段もあったかもしれない。残花少尉は『侵略者』に乗っ取られかけた時に頭の中に聞こえた『声』によって自我を取り戻したが、その声の正体が泥努である可能性もある。(これだと泥努は残花少尉を助けようとしたのに当の少尉からは怒りをぶつけられることになって二人の『すれ違い』が更にきついものになるけれども…。)

と久しぶりの双亡亭考察、というか由ちゃん残ちゃん考察なので長々と書いてしまった。あくまで私自身の「解釈」であり「想像」もとい「妄想」も交えたものであり、公式の答えはまるで違ったものかもしれない。泥努が残花少尉に対して「特別な感情」を抱いていたのはしっかり作中でも書かれていることであるが、あまりにも描写は少なく、同じ絵描きである凧葉やお気に入りモデルの紅、一番の理解者である姉のしのぶと比べると判りづらい。だからこそ想像や考察のし甲斐があるというものだが、やはり公式のファンブックが欲しいなあというところで今回の記事を終える。