月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

スメルジャコフとアリョーシャ②

前回の記事に引き続き、今回もスメルジャコフとアリョーシャの『関係』あるいは『交流』についての考察と私なりの解釈を述べていきたい。

部屋に入るなりアリョーシャは、一時間ちょっと前にマリヤ・ゴンドーラチェヴナが彼の下宿に駆けつけて、スメルジャコフが自殺したことを報じた、とイワンに告げた。「サモワールを片づけに行ったら壁の釘にぶらさがっているんです」ということだった。「だれか、しかるべき人に届けましたか?」というアリョーシャの質問に、彼女は、だれにもまだ知らせず真っ先にこちらへとんできたんです。途中ずっと走りどおしでした」と答えた。彼女は半狂乱で、木の葉のように全身をふるわせていた、とアリョーシャは伝えた。(第11編10)

その二か月前、フョードルが殺害される前日には、こんな出来事があった。

このとき、予期せぬことが起った。アリョーシャが突然くしゃみをしたのだ。ベンチのあたりは一瞬のうちに静かになった。アリョーシャは立ちあがり、二人の方へ歩いて行った。それはまさしくスメルジャコフで、すっかりめかしこみ、どうやらこてで縮らせたらしい髪をポマードで固め、エナメルの短靴をはいていた。ギターがベンチの上に置いてあった。女は家主の娘マリヤで、一メートル半近い裳裾のついた、明るいブルーのドレスを着こんでいた。まだ若い娘で、器量もまんざらではないのだが、ひどく丸顔で、おそろしくそばかすだらけだった。(第5編2)

マリアに「わたしはこの世にまるきり生れてこずに済むんだったら、腹の中で自殺してしまいたかったですよ」(同)と自身の闇を吐露するスメルジャコフ。それを偶然立ち聞きしてしまったアリョーシャが、くしゃみをして二人の前に登場する、マリアを介したアリョーシャとスメルジャコフの短いやり取り、その翌日に行われたフョードル殺害、そして二か月後、スメルジャコフの自殺を「だれにも知らせず」「真っ先に」「走りどおしで」アリョーシャの下へ向かうマリア。アリョーシャの「くしゃみ」から始まった、フョードル殺害事件後の三人の関係と交流(といってもおそらく交流のメインはマリアとアリョーシャでスメルジャコフはアリョーシャを受け入れたかどうかは怪しいところ)はどんなものだったのかを直接知るすべはない。ただ、アリョーシャ自身が仮にスメルジャコフに対して「冷淡」だったとしても、ミーチャの「顔」から「犯人」だと信じているスメルジャコフを、もっと言えば少年イリューシャを唆して犬のジューチカにピン入りパンを飲ませたスメルジャコフを、二か月もの間無視しつづけたりするのはおおよそ考えられない。無実のミーシャを救うために一番手っ取り早い証拠とは「犯人」スメルジャコフの自白なのだ。そうなると、アリョーシャが二か月の間スメルジャコフと接触を一切しなかった、スメルジャコフの元に行こうともしなかったと考えるのは、やはり無理があるだろう。
また、アリョーシャ自身の言葉からも、それを窺うことができるだろう。

「きびしい取調べをしたんですが」アリョーシャは考え込むように言った。「みんながあの男じゃないと結論したんです。今あの男は重病で寝ています。あのときの癲癇以来、病気なんですよ。本当にわるいようです」アリョーシャは言い添えた。(第11編1)

アリョーシャがグルーシェニカの家を訪問したのは、時系列で言えばイワンとスメルジャコフが三度目の対面を行った日のことである。スメルジャコフは重い病気で頭がおかしくなっているという噂があった。(第11編7)そのスメルジャコフの『今』の様子がどんなものかというと、

すっかり顔が変り、ひどくやつれて、色が黄ばんでいた。目は落ちくぼみ、下まぶたが青かった。(第11編8)

アリョーシャがこのスメルジャコフの様子を、噂ではなく、確実この目で見た、或いはマリアからの伝聞で聞いたと考えられるだろう。
もっともアリョーシャがスメルジャコフに会って話ができたかどうかは不明だ。むしろスメルジャコフ側が面会を拒否し、会えなかったと考えるほうが、可能性としては高そうだ。それでもスメルジャコフの『婚約者』であり、おそらく彼が言う『親切な人たち』(第11編6)の一人であろうマリアとは何度か接触し、会話をする機会があったのではないだろうか。スメルジャコフは二週間の入院の後、マリアの新居で暮らし始める。つまりアリョーシャがスメルジャコフに会おうとした場合、まずはマリアと接触をした可能性が高いと考えられるのだ。それを裏付けるのが、イワンとスメルジャコの二度目と三度目の対面だろう。

さんざノックしてドアを開けてもらうと、イワンは、玄関に入り、マリヤの教えてくれたとおり、スメルジャコフが使っている左側の《煙突付きの小屋》へまっすぐ通った。(第11編7)

 

まだ玄関にいるうちに、蝋燭を手にしてドアを開けに走り出てきたマリヤが、パーヴェル・フョードロウィチ(つまり、スメルジャコフ)はお加減がとても悪く、お寝みになっているわけではないが、ほとんど正気と言えぬ様子で、お茶も召し上がろうとせず、片付けるようにおっしゃった、とささやいた(第11編8)

 この二度目と三度目の対面はともにマリアの新居で行われており、スメルジャコフの元へやってきたイワンをまず出迎えたのは、マリアなのだ。しかし、スメルジャコフの自殺を警察よりも先に知らせに行った相手は、スメルジャコフと三度の対面を行ったイワンではなく、アリョーシャだった。このことから、アリョーシャはマリアから大きな信頼を得るほど(おそらくイワンより接触の回数は多いと思われる)頻繁に会っていた、つまりスメルジャコフに会いに行っていたと考えられるのだ。「単にマリアがイワンが住んでいる場所をを知らなかっただけではないか?」と思われるかもしれないが、それは逆にマリアがアリョーシャの下宿先の住所は知っていたことになるだろう。

アリョーシャは、イワンの姿が闇の中にすっかり消えてしまうまで、十字路の街燈のわきにたたずんでいた。それから彼は向きを変え、横町をゆっくりとわが家に向かった。彼もイワンもそれぞれ違うところに、一人で下宿していた。どちらも、がらんとなった父フョードルの家にに住む気はしなかったからだ。アリョーシャはさる町人の家に家具つきの家を借りていたし、イワンはそこからかなり遠いところに暮し、さる小金を貯えた官吏の未亡人の持ち物である立派な屋敷の離れに、広々とした、かなり居心地のよい住居を借りているのだった。(第11編5)

 
「確かにアリョーシャはマリアと頻繁に会っていたかもしれないが、スメルジャコフに冷淡ではないといことにはならない。マリアには会っていたかもしれないが、スメルジャコフは無視していたのではないか」と思われるかもしれない。しかしこういっては何だが、アリョーシャにスメルジャコフのこと以外でマリアと会う理由があるだろうか。逆にマリアにも『婚約者』のこと以外でアリョーシャと会う理由があるだろうか。しかもアリョーシャは『婚約者』のことをフョードル殺しの犯人だと確信しているのだ。仮にマリアとアリョーシャの個人的な交流のみに留まったとしても、そのきっかけはやはりスメルジャコフ絡みだったのではないかと思うのだ。

また、スメルジャコフの自殺をマリアから受けたアリョーシャが淡白すぎるという見方もある。このためスメルジャコフの自殺をアリョーシャが悲しんでいない、或いは無関心にとどまっているともいわれている。しかし本当にそうなのか。改めてアリョーシャがマリアからスメルジャコフの自殺を知らされた後の動向を見ていきたい。

アリョーシャが彼女といっしょに小屋にかけつけたとき、スメルジャコフはまだぶらさがったままだった。テーブルの上に、『だれにも罪を着せぬため、自己の意志によってすすんで生命を絶つ』と遺書があった。アリョーシャは遺書をテーブルにそのまま置いて、警察署長のところに直行し、一部始終を知らせたあと、「そのまま兄さんのところに来たんです」と、食い入るようにイワンの顔を見つめながら、言葉を結んだ。(第11編10)

スメルジャコフの遺体と遺書を目にしたアリョーシャは直ちに警察に通報していた。この時のマリアは『半狂乱』状態だったので、彼女に代わって警察に事情を説明をしなければならなかっただろう。言うなればマリアはアリョーシャに『助け』を求めた。そのアリョーシャがマリアと一緒になって取り乱していたら駄目だろう。さらに、警察署長への通報を終えたアリョーシャはイワンのもとへ向かうのだが、この時のイワンは『悪魔』との対決を終えたばかりだった。

「兄さん」彼はふいに叫んだ。「兄さんはきっと、容体がひどくわるいんですね! 僕を見ていながら、僕が何を言っているか、わからないみたいじゃありませんか」(同)

アリョーシャはマリアに代わって警察に通報した後、スメルジャコフの自殺を、まずイワンに知らせなければと考えていただろう。それほどスメルジャコフの自殺は重大なものだったのだ(おそらくマリアから、彼の自殺の直前にイワンが会いに来ていたことも聞いていると考えられる)。ところがイワンはもはや発狂寸前まで来ていた。アリョーシャはこの兄を根気良く宥め、落ち着かせ、鎮めてやらねばならなくなったのだ。
さて。イワンを寝かしつけたアリョーシャは、二時間ほど彼に付き添った後で、ソファに横になる。この時彼は、イワンとミーチャのことを神に祈った。
しかしここで問題が起きる。『何故自殺したばかりのスメルジャコフのことを祈らないのか?』である。これもまた『冷淡』説の根拠になっている。

『そう、スメルジャコフが死んでしまった以上、もはやイワンの証言なぞ、誰も信じないだろう。でも兄はきっと行って、証言してくれる!』アリョーシャは静かに微笑した。『神さまはきっと勝つ!』彼は思った。『真実の光の中に立ちあがるか、それとも、自分の信じていないものに仕えた恨みを自分やすべての人に晴らしながら、憎悪の中で滅びるかだ』アリョーシャは悲痛に付け加えると、またイワンのために祈った。(同)

確かにここでアリョーシャはスメルジャコフのためにも祈ったとは書かれていない。だが本当に彼は、自殺したスメルジャコフのことなぞ念頭になかったのだろうか。

『真実の光の中に立ちあがるか、それとも、自分の信じていないものに仕えた恨みを自分やすべての人に晴らしながら、憎悪の中で滅びるかだ

前者をイワン、後者をスメルジャコフだという考えることもできるが、私はそれは少々強引だと思う。普通に読めば、イワンがどちらの運命をたどるか、ということになるだうからだ。ではやはり、アリョーシャはスメルジャコフのことを憐れんでもいないのだろうか、と言われれば決してそうではないだろう。

だが、地上でわれとわが身を滅ぼしたものは嘆かわしい。自殺者は嘆かわしい! これ以上に不幸な者はもはやありえないと思う。彼らのことを神に祈るのは罪悪であると人は言うし、教会も表向きには彼らをしりぞけているかのうようであるが、わたしは心ひそかに、彼らのために祈ることも差支えあるまいと思っている。愛に対してキリストもまさか怒りはせぬだろう。このような人々のことを、わたしは一生を通じて心ひそかに祈ってきた。神父諸氏よ、わたしはそれを告白する、そして今も毎日祈っているのだ。(第6編3I)

これはアリョーシャが編纂した『今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より』の最終章『地獄と地獄の日について。神秘的考察』の一節である。哀れな自殺者に対するゾシマ長老の祈りの言葉だ。これをゾシマ長老からスメルジャコフに宛てた鎮魂の辞とも取れるが、ゾシマ長老とスメルジャコフには面識がない。となると面識のない二人を結び付ける存在を考慮するべきだろう。それは手記の編纂者たるアリョーシャ以外にいない。

ここで断っておかねばならないが、長老が生涯の最期の日に訪れた客人たちと交わした最後の説話は、ある程度、書きとどめられて残された。長老の死後しばらくして、アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフが記念に書きとどめたのである。(第6編1)

 

今は、説話の細部まですべて述べることをせず、むしろアレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフの原稿にもとづく長老の物語だけに限ることを、断っておきたい。くりかえして言うが、もちろん大部分はアリョーシャがこれまでのいろいろな説話から選んで、一つにまとめたものであるとはいえ、このほうが簡潔であるし、それにさほど退屈でもないだろう。(同)

 この『今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より』には自殺者のことだけではなく、主人と召使の話も出てくる。作者が述べたように『大部分はアリョーシャがこれまでのいろいろな説話から選んで、一つにまとめたもの』であるとするならば、彼が手記の最後の章に『自殺者』に関する師の言葉を手記に収めた意図もおのずと見えてくるだろう。ゾシマ長老の『自殺者』への祈りに重ねた、アリョーシャの亡きスメルジャコフへの鎮魂の辞であると考えられるのだ。

果たして私の読み方が正解かどうかは判らないが、これも一つの解釈であるとしてここに提示しておきたい。