月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

スメルジャコフ、最期の1ヶ月間①

フョードル殺害後、スメルジャコフは本物の癲癇発作で倒れ、病院に入院することになった。事件の四日後、イワンと最初の対面をしたときのスメルジャコフの様子はこうだった。

最初の一瞥でイワンは、相手が完全な極度の病的状態にあることを、疑う余地なく信じた。すっかり衰弱し、舌を動かすのもやっとのような、ゆっくりとした話し方だった。ひどくやつれ、黄色くなっていた。ニ十分の面会の間ずっと、頭痛と手足の痛みを訴え続けていた。去勢僧のようなひからびた顔がすっかり小さくなってしまったような感じで、鬢の毛は乱れ、前髪の代りに細い髪が一房だけ突き立っていた。(第11編9)

その二週間後、スメルジャコフは退院し、マリアの家に『婚約者』として住むことになった。

スメルジャコフの顔を見て、イワンはすぐに、病気がすっかり癒ったのだなと推しはかった。顔がずっと生き生きとしていて、太り、前髪もきれいにふくらませて、小鬢の毛がポマードで撫でつけてあった。(第11編7)

この時のスメルジャコフは、フランス語を勉強していた。彼はロシアを出て、フランスへ行くことを夢見ていたのである。

「わたしだって、教養を伸ばすために、フランス語の単語をおぼえちゃならんという理由はございませんでしょうが。わたし自身だって、ことによると、ヨーロッパのああいう幸福なところに行けるようになるかもしれない、と思いましてね」(同)

 病気がすっかり治ったかに見えたスメルジャコフ。しかし、それは一時のことでしかなかった。

こうして、ひと月が過ぎた。彼はもはやスメルジャコフのことなぞ、だれにもたずねなかったが、二度ほど、あの男が重い病気で、頭がおかしくなっていることを、ちらと耳にした。「結局、発狂するでしょうよ」――一度、若い医師のワルビンスキーがこう言ったことがあり、イワンはそれを記憶にとどめた。(同)

 そして、イワンと三度目の対面をしたときの、スメルジャコフの様子は、その噂通りであった。

まだ玄関にいるうちに、蝋燭を手にしてドアを開けに走り出てきたマリヤが、パーヴェル・フョードロウィチ(つまり、スメルジャコフ)はお加減がとても悪く、お寝みになっているわけではないが、ほとんど正気とは言えぬご様子で、お茶も召し上がろうとせず、片づけるようにおっしゃった、とささやいた。
「で、どうなんだ、暴れたりするのか?」イワンはぞんざいに訊ねた。
「とんでもない、反対にまるきりお静かなんでございますよ。ただ、あまり永くお話をなさらないでくださいまし……」マリヤが頼んだ。(第11編8)

 そうしてイワンが目にしたスメルジャコフの様子は、一度目の対面と同じように衰弱しきっていた。

すっかり顔が変り、ひどくやつれて、色が黄ばんでいた。目は落ちくぼみ、下まぶたが青かった。(同)

偽りの癲癇発作から、本当の発作へ。入院生活を経ての健康の回復、そしてまた『重い病気』にかかり、イワンと最後の対面を果たしたのち、彼は謎めいた遺書を残して自身の命を絶つ。
二か月間の、スメルジャコフの激変ぶり。特に健康を回復した二度目の対面のときと、三度目の対面時の落差。そして遺書を残しての自殺。この一か月の間に、スメルジャコフに何が起きたのか。単にまた癲癇の発作が再発しただけなのか。

スメルジャコフの自殺の原因については『自分の罪を自分自身の手で裁いた』というのが私の解釈だ。では、なぜ彼は自分自身を裁くに至ったのか。

「もう一度言っておくが、お前を殺さなかったのは、もっぱら、明日のために必要だからだぞ、それを肝に銘じておけ、忘れるなよ!」
「いいですよ、殺してください。今殺してください」突然、異様な目でイワンを見つめながら、スメルジャコフが異様な口調で言い放った。「それもできないでしょうに」苦々しく笑って、彼は付け加えた。「以前は大胆なお方だったのに、何一つできやしないんだ!」(同)

「いいですよ、殺してください。今殺してください」この発言から、スメルジャコフの自殺の原因として「尊敬するイワンに殺されることを望んでいたが、それができないことに失望したために自殺をした」ともいわれているが、私はこの発言については別の解釈をしている。イワンに自分を殺せないことを、スメルジャコフは判ったうえで敢えて言っているように見えるのだ。何故ならこの時のイワンにとって、スメルジャコフはフョードル殺しの『真犯人』というより翌日の裁判で提出するための『証拠品』でしかなかったからだ。

人はだれの審判者にもなりえぬことを、特に心に留めておくがよい。なぜなら当の審判者自身が、自分も目の前に立っている者と同じく罪人であり、目の前に立っている者の罪に対してだれよりも責任があるということを自覚せぬかぎり、この地上で罪人を裁くものはありえないからだ。それを理解した上なら、審判者にもなりえよう。一見いかに不条理であろうと、これは真実である。なぜなら、もし自分が正しかったのであれば、目の前に立っている罪人も存在せずにすんだかもしれないからだ。目の前に立って、お前の心証で裁かれるものの罪をわが身に引き受けることができるならば、ただちにそれを引き受け、彼の代わりに自分が苦しみ、罪人は咎めずに放してやるとよい。たとえ法がお前を審判者に定めたとしても、自分にできる限り、この精神で行うことだ。なぜなら、罪人は立ち去ったのち、みずからお前の裁きよりも厳しく自分を裁くにちがいないからである。(第6編3H)

結局イワンは最後まで『当の審判者自身が、自分も目の前に立っている者と同じく罪人であり、目の前に立っている者の罪に対してだれよりも責任があるということを自覚』するという姿勢で、『罪人』スメルジャコフと向き合うことが出来なかった。『なぜなら、罪人は立ち去ったのち、みずからお前の裁きよりも厳しく自分を裁くにちがいないからである。』そうして、スメルジャコフはイワンが去ったあと、遺書を残し、この通りのことを行ったのだ。

ちなみに上記の引用は『今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より』の『(H)人は同法の審判者たりうるか? 最後まで信ずること』の冒頭部分である。この章を読んでいくとイワンとスメルジャコフの三度の対面や、法廷でのイワン、或いは『プロとコントラ』にて神に対して反逆するイワンが思い浮かんでこないだろうか。というかこの章が丸々イワンに向けて、イワンのために書かれているように思えてくるのだ。この『今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より』がアリョーシャが編纂してまとめたものであることには何度か触れた。そしてこの手記は、アリョーシャが『カラマーゾフの兄弟』本編、つまり『第一の小説』で『経験』した出来事がかなり反映されている。ここでちょっと『作者の言葉』を引用してみたい。

重要な小説は二番目の方で、これは、すでに現代になってからの、それもまさにこの現在のこの瞬間における、わが主人公の行動である。第一の小説はすでに十三年前の出来事で、これはほとんど小説でさえなく、わが主人公の青春前期の一時期にすぎない。(作者の言葉)

そして『今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より』については、作者はこう語っている。

アレクセイ・カラマーゾフの手記はここで終っている。くりかえして言うが、これは完全なものではなく、断片的なものだ。たとえば伝記的資料にしても、長老の青春時代のごく初期を含むにすぎない。また長老の説教や見解から、明らかにさまざまなな時期にいろいろな動機から語られたとみられるものが、ひとつのまとまったもののように集められている。いずれにせよ、長老が生涯の最後の数時間に語ったことは、正確に指定されておらず、アレクセイ・カラマーゾフが以前の説教から手記に収めた部分と対比すれば、その法話の性格や真髄について概念が得られるというにすぎない(第六編3)

『第一の小説』も『今は亡き司祭~』に収められたゾシマ長老の『伝記的資料』も、ともにアリョーシャやゾシマ長老の『青春時代のごく初期』であり一時期のものなのだ。ここでは詳しくふれないが、前半の『伝記的資料』に収められている『(D)神秘的な客』に登場する紳士ミハイルが起こした事件は、『第一の小説』で起きたフョードル殺害事件に似ている部分が多い。このことからも、アリョーシャはただゾシマ長老の遺言を文字起こししただけではなく、ゾシマ長老の言葉に重ねた『第一の小説』で経験した出来事に関する自身の考察、師の遺訓を受け、町を離れて本格的に俗世で『実行的な愛』を行うアリョーシャ自身の戒め、更に他の『誰か』に対するメッセージとして手記を編纂したと考えられる。(おそらく手記の編纂作業自体は『カラマーゾフの兄弟』本編終了後だと思われるので、実はこの手記自体が時系列的にはいちばん最後ということになる)ということは『今は亡き司祭~』を読み解くことが『カラマーゾフの兄弟』本編を理解するための、或いは書かれなかった『第二の小説』を考察するための、そして本編であまり自分のことを語らない編纂者アリョーシャの思想や人物を読み解くための『鍵』となるのではないか、と個人的には思っている。

と、話がいろいろと脱線してしまったが、スメルジャコフの最期について考えるときも、アリョーシャの手記は大きな手掛かりになると思われる。というのも手記の最後の章『地獄と地獄の火について。神秘的考察』の中にスメルジャコフを想起したものと思われる一節があるからだ。

だが、地上でわれとわが身を滅ぼしたものは嘆かわしい。自殺者は嘆かわしい! これ以上に不幸な者はもはやありえないと思う。彼らのことを神に祈るのは罪悪であると人は言うし、教会も表向きには彼らをしりぞけているかのうようであるが、わたしは心ひそかに、彼らのために祈ることも差支えあるまいと思っている。愛に対してキリストもまさか怒りはせぬだろう。このような人々のことを、わたしは一生を通じて心ひそかに祈ってきた。神父諸氏よ、わたしはそれを告白する、そして今も毎日祈っているのだ。(第6編3I)

 この『自殺者』論に至るまでの文章に、スメルジャコフの最後の一か月間、イワンとの二度目の対面から三度目の対面に至るまでの『変化』、そして彼がなぜ『われとわが身を滅ぼ』すに至ったのかの手掛かりがあると考えられる。しかし長くなってしまったので次回に続く。