月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

『親切な人たち』

以前の記事でも『スメルジャコフは決して誰からも愛されなかったわけではない』といったことを書いたが、その理由は、彼の周囲にいる『親切な人たち』の存在にある。

「マルファ・イグーナチェヴナがわたしを忘れずにいてくれて、何か必要なものがあると、今までどおり親切にいろいろと助けてくれますので。親切な人たちが毎日、見舞いに来てくださるんですよ」(第11編6)

この『親切な人たち』が具体的に誰を指すのかは書かれていない。彼を崇拝する去勢派信徒たちだという見方もある。(確かにスメルジャコフは『女嫌い』『去勢された男のような』とたびたび表現されることはあるが、特に『去勢派』とは明言されていないし、後に出てくる『白い靴下』を去勢派信徒の証拠だと取るのは無理あるような気もするが……)或いはうがった見方をすれば、警察関係者やミーチャの弁護士といった人たちと解釈することも可能かもしれない。だが私は、スメルジャコフの言葉を素直に受け止めていいのではないかと思う。実際彼に対して『親切な人』はいたのだから。

そのうちの一人が、カラマーゾフ家の隣人、マリア・ゴンドーラチェヴナだ。マリアはマルファのもとへパンとスープを貰いに来るほどの貧乏だった。家に奉公に来ているフォマーという男に小屋や庭を貸してもいるようだが、収入はわからない。
スメルジャコフは自身が命を絶つ二か月前、フョードル殺害の前日、四阿の緑色のベンチで彼女にギターを弾き、詩を歌ってやっていた。(第5編2)彼女とスメルジャコフが恋人関係にあるとは明言されてはいない。彼がマリアの家を少なからず訪れていたのは確からしい。

どうしてすっかりお見限りなの、パーヴェル・フョードロウィチ、いつもあたしたちを軽蔑してらっしゃるのね」
「とんでもないですよ」男の声が、いんぎんにではあるが、頑なほど揺るがぬ自尊心をこめて答えた。どうやら男のほうが余裕があり、女は機嫌を取っているらしかった。(同) 

また、スメルジャコフ本人も「わたしは知り合いのよしみで時々こちらへ伺うんですか」「わたしは日ごろからのお隣同士のよしみでこちらへはよく伺うんです」と話している。時々なのかよくなのかどっちなのかという疑問はあるが、それはそれとして、

それはまさしくスメルジャコフで、すっかりめかしこみ、どうやらこてで縮らせたらしい髪をポマードで固め、エナメルの短靴をはいていた。ギターがベンチの上に置いてあった。女は家主の娘マリヤで、一メートル半近い裳裾のついた、明るいブルーのドレスを着こんでいた。(同)

どうみてもデートです本当にry
ただ、スメルジャコフは出自のコンプレックス故なのか給料のすべてをおしゃれに使ってしまうし。マリアに関しては貧乏なのに贅沢な服を着飾っているという娘なので「べつにデートだからめかし込んだわけじゃなくてこれは二人の普段着ですよ」と解釈することも可能だろう。私にはめかし込んで束の間のデートを楽しんでいる二人の若い男女にしか見えないが。ちなみにこの時点ではスメルジャコフはマリアの母親とも面識がある(マリアの母親は高齢で足が悪く、彼女が帰郷したのは母親が病気になったことである)。
ともかくスメルジャコフがマリアをどう思っているかは不明だが、マリアの方はスメルジャコフにベタ惚れに近いだろう。

「あたしだったら、イギリスの青年が三人たばになってきたって、ロシアのスマートな殿方を見変えしたりしないけど」マリヤがやさしく言った。おそらくその瞬間、悩まし気な目をしてみせたに違いない。(同)

スメルジャコフの返答は「そりゃその人の好みにもよりますけどね」だった。スルースキルが高いのか、マリアを何とも思っていないからなのか……。

さて、スメルジャコフはフョードル殺害後、二週間の入院を経て退院する。その時彼が新たな住まいとしたのは、カラマーゾフ家の屋敷にある召使小屋(つまりマルファとグリゴーリイたちのもと)ではなく、マリア母娘の新居だった。フョードルの死以降。彼女は以前の家を売り払い、母とともに新しい住まいへと引っ越したのだった。

スメルジャコフはこの時までにすでに退院していた。イワンは彼の新しい住居を知っていた。ほかならぬ例の、傾きかけた丸太組みの小さな家で、玄関の土間で仕切られた二軒の小屋から成っていた。一方の小屋にはマリヤ・ゴンドーラチェヴナが母親と住み、もう一方にスメルジャコフがひとりで暮らしていた。どんな条件で彼がここに住むことになったのか、ただで厄介になっているのか、それはわからない。後日の推測では、彼はマリヤ・ゴンドーラチェヴナの婚約者と言う形でこの家に入り、さしあたりただで厄介になっていたようだった。母も娘も彼を非常に尊敬し、自分たちよりも偉い人間として見ていた。(第11編7)

ここから見えてくるものは、マリアの引っ越し自体が、スメルジャコフを新居に住まわせることを前提としているという点だろう。新居は『傾きかけた丸太組みの小さな家で、玄関の土間で仕切られた二軒の小屋から成っていた』とあるからだ。スメルジャコフはフョードル殺害後に本物の癲癇発作で瀕死の状態になった。この時のスメルジャコフはすっかり元気を取り戻したようだが、それでも病人であることには変わりない。足の悪い母親に加えて、マリアはこの病人を引き取り、世話をしていたのだ。しかしマルファの下からパンとスープを貰いに来るほど貧しかったというのに、いったいどこにそんな余力があったのか。マリアの引っ越しやスメルジャコフを住まわせることに関しては一体誰が言い出したのか。盗んだ三千ルーブルの新たな隠し場所をどうするかという問題もあるので、スメルジャコフから言い出したというのは考えにくい。マリアが言い出し、マリア母からの同意を受け、グリゴーリイやマルファもそれに同意し、最終的にスメルジャコフも同意、というか折れた、と見るのが妥当なところだろうか。この引っ越し自体にもしかしたらアリョーシャの手助けのようなものもあったかもしれないが、これに関しては何も記されていないので推測の域を出ない。

さて、マリアの家に住むことになったスメルジャコフだが、その新居は「掘っ立て小屋に近い家」(第11編5)というだけあって決して快適な者とは言えない、劣悪なものだった。

この小屋にはタイル張りの暖炉があり、ひどく暖房がきいていた。壁にはきれいな青い壁紙が張ってあった。もっとも一面に破れていて、その下の裂け目をおそろしい数のゴキブリが這いまわっていたため、たえずがさごそを音がしていた。家具はごく粗末なもので、両側の壁沿いにベンチが二脚と、テーブルの横に椅子が二つあった。テーブルはただの木製でしかなかったが、それでもバラの花模様がついたクロースが掛けられていた。小さな二つの出窓には、どちらもゼラニウムの鉢植えが置かれていた。片隅には聖像を飾ったケースがある。(第11編7)

最初私は「おぞましい数のゴキブリ」の箇所に目を奪われて「こんなところに病人を住まわせるのはどうよ」と思ったのだが、よくよくこの箇所を読むと、少しでもスメルジャコフに快適に住んでもらいたいというマリアの心遣いがうかがえるだろう。そのもっともたる例が壁に貼られた『きれいな青い壁紙』だ。青といえばマリアが来ていた長い裳裾のついたドレスの色だ。彼女が青が好きなのかは不明だが、壁紙を張ったのはおそらくマリアなのだろう。マリア自身が張ったのではなくても、青い壁紙を貼ってほしいと誰かに頼んだのかもしれない。それがなぜ破れているのかはわからない。スメルジャコフが破ったのかもしれないが、定かではない。関係あるかは不明だが、青は宗教画で聖母マリアが纏っているマントの色でもある。尚ゴキブリに関して言えば、フョードルの屋敷もたくさんの鼠が住み着いていたらしいので、あまり気にならなかったのかもしれない。……『潔癖症』じゃなかったのか、と突っ込まれそうだが、彼は自分の出自を憎んでいるだけでいわゆる『潔癖症』とは少し違うのではないか。これに関してはまた別の記事で掘り下げてみたい。
更に木製のテーブルにかけられたバラの花模様のクロースや、聖像を飾ったケースもマリアの細やかな『心遣い』かもしれない。ひどく暖房がきいていたのも、スメルジャコフの健康を気遣っていたからこそだと考えられるだろう。

更に三度目の対面時には、模様替えが行われていた。

この前の時と同じように暖房がひどくきいていたが、部屋にはいくらか変化が見られた。壁のわきにあったベンチの一つが取りのけられ、そのあとにマホガニーに似せた古い大きな革張りのソファが置かれていた。ソファには寝床が敷かれ、かなりこざっぱりした枕が置かれていた。(第11編8)

この時のスメルジャコフは「重い病気で、頭がおかしくなっている」(第11編7)と言われており、青年医師のワルヴィンスキーからは「結局、発狂するでしょうよ」とも言われていた。この『マホガニーに似せた古い大きなソファ』もソファに敷かれた寝床も、こざっぱりした枕も『マリアがどこからか持ってきたのか、あるいは誰かが持ち込んだのは定かでない。いずれにせよこれらが『重い病気』のスメルジャコフのために用意されたものであると考えられる。

ところでスメルジャコフはマリアからお茶を淹れられたり、ソファを寝床として使っていたりしている。それで思い出すのが『今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より』のこの記述だ。

「それじゃわたしたちは、召使をソファに坐らせて、お茶を運んでやらなけりゃいけないんですか?」そこでわたしは答えた。「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」みんなは笑いだした。質問が軽薄なものだったし、私の答えも不明瞭だったが、その中にある程度の真理は含まれていたと思う。(第6編3F)

マリアがフョードル殺害のことをどこまで知っていたのかは不明だ。彼女がアリョーシャと何度か会っていたとすれば、何も知らなかったというのは考えにくいだろう。しかしマリアがスメルジャコフに向けたものは、彼に対する同情や憐憫などではなく、彼を『自分たちより偉い人』だと一途に慕い、彼が自身の命を絶つ間際まで注ぐ愛情以外の何物でもない。アリョーシャの下へ駆けつけた時のマリアは『半狂乱』であり『全身を木の葉のようにふるわせていた』(第11編10)のだ。『婚約者』スメルジャコフの死が、どれほど彼女にとってショックであったかは想像に難くない。

恐れおののきながら主の前に立ったその人の魂にとって、その瞬間、自分のためにも祈ってくれる人がいる、地上にまだ自分を愛してくれる人間がいると感ずることが、どんなに感動的であろうか。そして神もまたお前たち二人を、いっそう慈悲深く眺められることだろう。なぜなら、お前でさえそんなに彼を憐れんでやった以上、お前よりも限りなく慈悲深く愛情豊かな神は、なおさらのことだからだ。そしてお前に免じてその者を赦してくださるにちがいない。(第6編G)

謎めいた遺書を残して自ら命を絶ったスメルジャコフ。マリアのその後は不明だが、彼女がスメルジャコフのために祈ってくれる人間であり、彼を愛してくれる人間の一人であることは間違いないだろう。