月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

万年筆と『書く』愉しみ

ここ最近の記事を改めて読み返していると、内容が暗かったり何かに対して攻撃的だったりとにかくネガティブな要素が多めな気がする(って以前もこんなこと書いたような……)。
基本的には自分が書きたいこと、読みたいことを書いていきたいなと思いつつ、なるべくネガティブになったり攻撃的にならないようにつとめながら記事を書いていきたい。せっかく今年も終わるんだし……ってもう2020年もあと一か月もないのに全然実感がわかない。例年は少なからず実感はあるというのに。それほど今年が異様な年だったということだろうか……。

そんなわけで、今日は万年筆の話をしたい。

これまでもちょくちょく触れてきたが、私は万年筆が好きだ。万年筆自体も好きだし、万年筆で何かを書くことが好きである。だからプライベートでノートや日記を書くときはもっぱら万年筆を使っている。

理由は、単純に『書くことが愉しい』からだ。

筆記具の利便性としてはもちろんシャーペンやボールペンのほうが上だし、私はシャーペンもボールペンも好きである。サラサラ書きたいのならば水性ボールペンやゲルインクボールペンがあるし、ボールペンが苦手ならば細めのサインペンやミリペンという選択肢もある。またインクが裏ぬけしやすく、紙も選ぶ(特に某モレ〇キンとか抜ける……)。

だが私はそれでもあえて万年筆を使う。利便性より趣味の領域であるが、筆圧をかけずに書けるのは利点だし、インクを詰まらせても洗えばだいたいOKだし(OKにならない場合もあるが)自由にインクを変えることができる。そしてたとえkakunoのような1000円の万年筆でも、或いはダイソーの100円万年筆でも、更には雑誌の付録でついている万年筆であっても、使い込めばこむほど愛着のある一本に育っていく。

更に言うと、私自身、日記が続いたりノートが最後まで使い切れるようになったのは万年筆のおかげでもある。理由は『書くこと自体が愉しい』からだ。(そういえば私、手帳で万年筆を使うことがほぼないような……)好きな万年筆を使ったおかげで資格の勉強がはかどったこともある。万年筆も所詮書くための『道具』にすぎないわけだが、その『書く』ことが『苦行』になってしまってはノートにしろ日記にしろやはり続かない。好きなペンと好きなノート(紙)の相性が上手くかみ合わさると『手で書く』という行為が愉しくなってくる。

とはいえ、実を言うと、以前は廉価ものと金ペンと合わせて20本ぐらい持っていたのだが、求職中で軽く鬱状態だったことと当時やたらと断捨離にハマっていたこともあり、そのほとんどを手放してしまった。しかし手放してから『やっぱり私は万年筆で書くことが好きなんだ』と気づいた。ボールペンやシャーペンだと本当に『筆記道具』でありそれ以上でも以下でもないといった具合なのだが(※ボールペンやシャーペンをdisっているわけではありません。仕事ではボールペンをガシガシ使っているし、万年筆が使いづらいときはシャーペンを使っていたりもしています)万年筆は『道具』としての役割に+して『書く愉しさ』があるのだ。

現在主に使用しているのはPILOTのkakunoとラミーのサファリなのだが、新たにプラチナのプレピーとセーラーのプロフィットスタンダードが仲間に加わった。デジタル全盛期であり『手書き』という行為自体がいずれ無くなると言われているが、これからも可能な限り『書く』ことを愉しんでいきたいと思う。