月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

『覚える』のか『忘れる』のか

私は手帳術やノート術の本を何冊か読んだことがある。

それらの本の中でよく『手帳やノートを書く』ことのメリットとして『書くことで忘れられる』という記述があった。
どういうことかというと、自分の頭の中にあるものを書きだすことで頭がすっきりする、というものだ。タスクや予定を手帳に書きだすことで、目の前のこと集中することができる。自分の頭のワーキング目盛りを使わずとも、手帳が覚えてくれる。或いはモヤモヤやネガティブな感情をノートに書きだすことで感情が整理され、すっきりする、というものもある。

しかし一方で、巷の勉強術なんかでは『手で書くことで覚えられる』と言われている。一時期流行った(?)青ペン勉強法なんかそれだ。手を動かし、ペンで紙に書けばなくほど記憶に定着しやすくなるというのだ。

そこで私はふと疑問に思ったのである。

忘れられるのか、記憶するのか、どっちやねん。

※ここからは私個人の感想というか所見です。

わたし自身は結構ネガティブ思考が強い人間である。ポジティブになりたいと願いつつ早ウン年、なかなかそれが叶うことがない。そういうわけでネガティブなことやもやもやしたことを紙に書きだすということを何度かやってみたのだが……ぶっちゃけ全然すっきりしないのである。
「よく見返すノートだからいけないのだ!使い捨ての髪に書いて捨てればすっきりするはずだ!」と思っていらない裏紙に書きだしたりもしてみたが、やはり結果は同じだった。現実の問題が解決していないから、書く量が足りないから……しかしある時私はふと思った。

もしかして、紙に書きだすことがかえって逆効果になっていないか?

人間の脳と言うのはネガティブなことが記憶に残りやすいと言われている。理由はその方が危機回避に役立つからだ。獣の襲撃や自然の驚異、飢えや病といったものに今以上にさらされてきた。つまり人は生き残るためにネガティブなことを記憶することを優先していった……らしい。
言われてみれば、ネガティブなことはよく思い出す。何をしなくてもふいに記憶から蘇る。一方で楽しかった思い出と言うのは、例えば過去の写真を見るなど何かきっかけがなければなかなか思い出せない。

『ネガティブなことは記憶に残りやすい』という特性に加えて、手で書くことで『記憶に定着される』これが組み合わさるとどうなるか。人によってはスッキリするどころかネガティブなことがより強化され、心に更なるダメージを与えかねない。これでは治りかけの傷口のかさぶたを自分から剥がす、或いはドアに指を挟んで『恥知らず、恥知らず、恥知らず!』(byリーザ)と自傷行為をするようなものである。
また『紙に書きだす』という行為は実際のところかなり根暗『内向き』だと思う。負の感情を紙に書きだした場合、その感情は『外』ではなく『内』に向けられる。ということは、モヤモヤやネガティブは外に吐き出されるのではなく、紙と脳の間をひたすら『循環』していくだけになるのだ。この『循環』はいわば『自分自身との対話』という行為である。自分を見つめることは大切だが、これが行きすぎるとかえって病んでしまうだろう。最終的には地下室に籠ったり悪魔の幻覚を見てしまいかねない。人間、誰しも苦行僧になれるわけではないのだ。

それゆえか日記なんかでも『ネガティブなことを書かず、その日の有った良いことを書きだすといい』なんて言う人もいる。正直これまでは『そんなにポジティブなことなんか書けるかい!』『ネガティブな感情に蓋をするのはかえって辛いだけだろ!』と思っていたのだが、繰り返すようにネガティブなことは嫌でも何の前触れもなく思い出す。逆に良かったこと、ポジティブなことはきっかけがない限り思い出せない。その思い出す『きっかけ』言うなれば記憶をしまい込んだ箱を開ける『鍵』として『良かったこと』を書きだすのは有効かもしれない、と最近考えるようになった。ネガティブなことを書きだすにも、例えば『今日もミスして上司に怒られた会社辞めたいもう嫌だ私ってなんでこうなんだ』とひたすら感情に任せて書き出すのではなく『ここはこうすれば良かった』『こうすれば次からは改善可能だ』と客観的に、あくまで『データ』として書き出すのがいいかもしれない。こうすることでPDCAサイクルを回すことも可能になってくる。また『ネガティブな状態では敢えて何も書かない』という選択肢もありだろう。ペンを握るよりもゆっくりお風呂に浸かったほうが心身共にリラックスできるというものだ。そうして心を落ち着かせてから、ゆっくりとペンを走らせるのだ。

……ってなんかまた自己啓発みたいな記事になってしまったが……。

前回『万人に合う手帳術やノート術はない』という旨の記事を書いたが、『ネガティブな感情』を書きだすことでスッキリする人もいれば、私のようにかえってネガティブを悪化させる場合もある。どの方法が自分に合っているかを模索するのも、手帳術やノート術の楽しみ方である(なんという無理矢理な締め方)。