月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

残花少尉のトラウマと泥努の「期待」

双亡亭壊すべし」の最大の敵である「侵略者」は主である坂巻泥努が描いた肖像画の中にその人物を引き入れ、過去のトラウマをもとに心を破壊し、その身体を乗っ取っている。泥努曰くこれらは「あいつが勝手にやったこと」らしく、こうした侵入者の排除にはあまり積極的に関わっていない(本人的には絵が描ければいいので肖像画を書いたら後は我関せずというところなのだろう)。ただし残花少尉に関しては泥努が「一緒に龍宮城に行く」という約束を果たさせるために自ら絵の中に引き込ませている為「あいつが勝手にやった」という言い訳は通用しない。

ところでその残花少尉のトラウマ、というか絵の中に引き込まれて以降の描写なのだが、読み返してみると他の破壊者たちと比べるといくつか相違点が見られる。
まずトラウマを見せられるまでの描写だ。凧葉や紅たちを見てみると、絵に引き込まれたらトラウマに至るまでの過去を追体験させられているのだが、残花少尉の場合はまず幸せだった頃(尋常小学校時代)から追体験させている。そこから年月が流れ、由太郎の姉しのぶが東京に行くことになり、由太郎が泣きじゃくる場面に遭遇した残花。この後に彼は「あの夜(由太郎がしのぶを絞殺した夜)」の記憶を見せられるのである。幸せな夢は終わり、地獄を見せられるのだ。

ただこれは残花少尉に限った話ではなく『侵略者』が相手の心を壊すための揺さぶりの一つと言える。というのも実は同じことを10巻で青一もやられている。まず家族との幸せな記憶を見せられ、そこから異星で45年戦った記憶、母親が溶けて消える記憶を見せられる。そこから家族たち(侵略者)が「お前のせいだ」と攻め立て、彼の心は壊されて行ってしまうのだ。
余談だが青一を救おうとして絵に飛び込んだ残花少尉を『侵略者』たちは動けないようにがんじがらめにし、口や目から侵入することを試みるのだがこれはかつて「乗っ取ろうとしたら皮膚ごと引っこ抜かれた」ことを踏まえての対応なのだろう。ちゃんと学習していて偉い(?)。

二つ目の相違点は「トラウマの恐怖が一切増幅されていない」ことだ。『侵略者』は過去のトラウマを抉って心を壊すのだが、ただ『事実としてのトラウマ』を見せるのではなく、それを増幅させて相手に恐怖を与えるのである。例えば自衛官の宿木の部下である森田のトラウマが「増水した雨で流されそうになっていた子犬を見棄てた」ことだったのだが、子犬は少年だった森田の足を掴み「よくも己を殺したな…」(第三巻)と巨大化し、暗闇の洞窟のような眼を森田に向けた。森田の心はこれで壊されてしまい『侵略者』に乗っ取られてしまった。森田は作中でも「いい人」だと言われており「侵略者」はその子犬を見棄てたという罪悪感を突きトラウマを増幅あるいは脚色させ、恐怖を与えたのだ。(森田に限らずこの「トラウマ増幅」は作者の絵の迫力もあってものすごくホラーなことになっている)
この「トラウマ増幅」は前述した青一の家族に侵略者が擬態し、責め立てていたのもそれにあたる。しかし残花少尉の場合はそれらが一切なく、ただ「友人が姉の首を絞めていた」という「過去の事実」をそのまま見せられていたのだ。由太郎が姉の首を絞めた真相は12巻で明かされることになるのだが、首を絞めたのも「のうざんちゃん、幸せそうじゃろう」(第八巻他)と歪んだ笑みを浮かべたことも『侵略者』の脚色が一切ないのである。『侵略者』側がその必要がないと判断したのか泥努側が偽の由太郎やしのぶを演じさせることを是としなかったのはか定かではない。

三つ目はトラウマの「種類」である。「双亡亭壊すべし」の登場人物が抱えるトラウマは「自身に降りかかった災厄」や「過去に行ってしまった行為や言葉への罪悪」に大きく分けられる。前者は父親から虐待を受けていた凧葉や父親としては『毒親』となってしまったアウグストの娘ナンシー、かくれんぼで狭い場所に閉じ込められた修験者の朽目、「化け物の子」と言われつづけきた鬼離田姉妹がそれにあたる。後者は不注意で緑朗に火傷を負わせてしまった紅や、仕事優先で娘をないがしろにしてしまったことで娘を火事で失ったマーグ夫妻、前述の子犬を見棄てた森田もそれだ。青一の場合は前者なのだが『侵略者』は家族のふりをして罪悪感と自責の念を植え付けさせていった。汚い流石しのちゃん汚い。またモブではあるが「大事な場面でバントをしなかった」ことで乗っ取られてしまった警官もいる。

残花少尉の場合はどうだろう。そもそも彼が由太郎の「姉殺し」を目撃してしまったのは偶然のことである。残花は由太郎を夏祭りに誘おうとしただけなのだ。残花はあまりの恐怖に逃げ帰ってしまうのだが、彼自身はそのことをずっと悔いており、いつか由太郎に謝りたいと思っていたことが後に判明した。そう考えると後者よりと言えるだろう。子供のころは喜怒哀楽がはっきりしておりよく笑っていた残花は軍人になって無駄に笑わなくなった。もっと言うと作中でも「怒り」以外の感情の起伏が抑えられており、下手をすれば泥努の方が顔芸表情豊かである。軍人になって矯正されたのもあるだろうが、こうした過去のトラウマ、つまり「恐怖に負けて友を見棄てて逃げた」こともやはり影響を与えていたかもしれない。(ところでいろいろ書いていたらふと少尉と紅って似ているのでは?と思ったのだがこれはまた次回の記事で書いてみたい)

とこのように残花少尉の「トラウマ」は実質「坂巻泥努の過去:出題編」なところがある。泥努は「絵」に引き込まれる残花少尉に対して「お前はただ絵の中に行って帰って来るだけさ」「前と違うお前になってな。ただそれだけだよ」(第八巻)と言っていたのだがいくら少尉に「一緒に龍宮城に行く」という約束を果たしてもらいたいからといってわざわざトラウマを見せて『侵略者』に乗っ取らせるのはどうなんだ?と疑問に思う。おそらくだが泥努としては残花少尉にも自分と同じように『侵略者』を支配して不老不死の身体を手に入れてもらいたかったのではないだろうか。仮に残花少尉『侵略者』に乗っ取られた場合、中身は残花少尉らしく演じている『侵略者』でしかなくなってしまうため、「違う!」と癇癪を起し、場合によっては「お前は死のうか」(第九巻)と「処分」された可能性もある。泥努が描いた幼い姉を模した「しの」のひどいパワハラじみた扱われ方や二十三巻で泥努に対する対し怒りと憎しみの色しか視えなくなっていた残花少尉を「ただの兵隊に成り下がった」(第二十三巻)と吐き捨てているところを見ると、見た目だけが残花で中身が別物では意味がないのだろう。おそらく泥努にとっては「子供のころと変わらない『色』を持った幼馴染の残ちゃん」のままでなければ駄目だったのだ。泥努が残花少尉との「約束」を承諾したのは「あの頃の残ちゃんのままだった」と泥努が思い直したからだと考えられるのだ。(だけど少尉が死んだ後に侵略者で生き返らせようとしたがそれは中身が侵略者の別物にならないか?と思わなくもない。泥努は残花の人格を保ったまま生き返らせる自信があったのだろうか)

最終決戦後、泥努は双亡亭を消滅させることを最終的に選び、残花少尉を帰黒と共に元の時代に帰ることを促した。残花少尉は敬礼と共に現代と友に別れを告げ、泥努は彼と凧葉が去ったのちに緑朗に看取られる形で「あと一筆」を残して消滅した。幼い日の一緒に龍宮城へ行くという約束は果たされなかったが、それでも二人の友情が消えたわけではない。どこかの世界では縁側で絵を描く由太郎と彼の隣でそれを見ている残花がいるかもしれない。