月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

泥努の意図

昭和7年5月15日、首相暗殺犯を追って部下を率い、双亡亭に突入した残花少尉は、部下もろとも泥努が描いた「絵」に引き込まれる。部下たちは全員乗っ取られてしまい、残花少尉も絵からは脱出したものの全身の皮膚を失うという大怪我を負った。泥努は残花少尉を絵に引き込む際に「ざんちゃあん…」(第八巻)と不気味な笑みを浮かべた。その理由を問いただす為に残花少尉は霊水を生み出す白髪の巫女、帰黒を相棒として双亡亭に再突入した。

泥努が「嗤った」理由については物語終盤で明らかになる。泥努(由太郎)は幼い頃、残花少尉から「おれと由ちゃんとで二人で、龍宮城に行ったらええんじゃ」(第二十三巻)と言われたことを覚えていた。彼の笑顔は幼馴染を貶める「嘲笑」ではなく、再会できたこと、そして何より約束通り龍宮城へ行けることへの「喜び」によるものだったのだ。

しかしここである疑問が浮かぶ。それが前述した「何故泥努は絵から脱出した残花少尉を連れ戻さなかったのか」である。

何故この疑問を持ったかというと7巻で力を使い果たしたフロルをおんぶして双亡亭の外に出ようとした凧葉を、泥努は彼に貸した「黒い腕」を使って連れ戻したからだ。凧葉は絵に引き込まれた時に泥努と出会い、絵描き同士で意気投合た。泥努は自分のもとを去ろうとする凧葉に「もしお前が帰ってこられたたら…私と絵の話をするのだ…」(第三巻)と凧葉に約束させた。この約束を凧葉に果たさせるために、泥努は彼を連れ戻したのである。怖いわ。

一方、絵から脱出した残花少尉については、泥努は連れ戻そうとした気配がない。絵から脱出した残花少尉は、血まみれになって朦朧としたまま屋敷の外へ出た。
前述したとおり、泥努は残花少尉との「約束」を覚えており、彼に「約束」を果たさせるために絵の中に引き込んだ。何故凧葉のことは連れ戻して、残花少尉はそうしなかったのか。

いくつか仮説を立ててみようと思う。

仮説①笑った理由自体が後付け

泥努が笑った理由と龍宮城の話については「唐突」だという意見もちらほら見かける。私も最初読んだとこは唐突感が拭えなかった。何故なら泥努は二十二巻まで残花少尉のことを気にも留めておらず、彼に対する執着も言及されていなかったからだ。応尽から「お気に入りの人間」(第ニ十巻)と言及された人物も、凧葉と紅の名前は出ても残花少尉は出てこない。更に泥努と紅や凧葉との交流はしっかり描いてはいるものの残花少尉との関係の掘り下げはあまりされてないし、取られている尺も短い。「後付け設定だから」と考えるのは自然だろう。しかしこれは作者自身が言及しない限りわからないことなので推測の域を出ない。

仮説②残花少尉に対して興味を失った

泥努と再会した時点では、残花少尉は幼い頃の「約束」を覚えていなかった。絵の中で幼い頃のトラウマ(由太郎が姉を絞殺するのを目撃した)を見せられた少尉は『侵略者』に乗っ取られかける。が、謎の「声」によって正気を取り戻し、彼の怒りは嗤いながら自身を『絵』の中へと引き込んだ幼馴染へと向けられた「何故己を嗤った、坂巻ィ~~!!」(第八巻)と自身の身体に入りこんだ『侵略者』を皮膚や肉ごと引き抜く様は何とも壮絶な絵である。(よく生きていたよなあ…)残花少尉は泥努に対して「怒り」と「憎しみ」の「色」を宿すようになり、残された左目も黒く塗りつぶされた。
泥努は「うらしまたろう」の歌を歌っても何も思い出さず、怒りに銃口を向ける少尉に対して「短絡ですぐ怒気を表す完全な兵隊に落ちぶれた」(第二十三巻)と評している。泥努にしてみてば最早自分が好きだった幼馴染はおらず、目の前にいるのは「名も無き兵隊」(同)と映ったのかもしれない。だからこそ、モデルとして攫ってきた刀巫覡の紅から残花少尉が双亡亭にいることを聞いた時も、「ふーん、<双亡亭>にいるのか…」(第十二巻)さほど興味なさげな反応だったとも考えられる。

と、2つの仮説を立てたところで記事を終えてもいいのだが、もう一つ考えられるか説がある。

仮説③残花少尉が双亡亭に戻ってくることを確信していた

紅の弟である緑朗は霊体となった際、泥努の体内に匿われた。その際に泥努の体内で出会ったのが老人となった泥努であった。彼は緑朗に昔「友だち」と話したという「うらしまたろう」の話をする。龍宮城に行った浦島太郎が帰ってきたときに何百年も経過しており、玉手箱を開けた際に老人になってしまった結末を、老いてなお美しい龍宮城を描くことができないことになぞらえて「なんという恐ろしい話なのだ…」(第二十三巻)と震えながら泣く老泥努。しかし彼は不意に泣くのをやめる。

「友だちが来てくれるんだ」
「え?」
「友だちが一緒に龍宮城に行ってくれるんだ
 なんにも、こわくない…」(第二十三巻)

たとえ龍宮城に行って何百年経って白髪の老人になっても友達が一緒なら怖くない。老泥努は笑顔になり、「ああ、早く二人で行きたいなあ…龍宮城に」(同)と若返っていく。何とも物悲しく、そして重い。だが特筆すべき点はもう一つある。
それは老泥努が「友だち(つまり、残花少尉)」が「一緒に龍宮城に行ってくれる」ことを微塵も疑っていないことである。

「約束を忘れているかもしれない」とか「彼は来ないのかもしれない」とか普通は考えるものだが、老泥努の台詞は「一緒に龍宮城に行ってくれるんだ」と断定調であり、彼にとっては「友だち」と二人で龍宮城に行くことは最早既定路線となっている。

この老泥努の台詞を踏まえると、泥努は絵から脱出した残花少尉が必ずこの双亡亭=龍宮城に戻って来る、幼い頃の約束を果たすと思っていた、いや、確信していからこそ、敢えて連れ戻そうとしなかったのではないだろうか。幼い頃、いじめられた時はいつも助けてくれた「残ちゃん」、自分との時間を「心の安らぎ」としてゆるぎない友情を向けてくれた「残ちゃん」、姉を絞め殺した時に恐怖で逃げ帰っても自分のことを心配する「色」を発していた「残ちゃん」…世界を「醜悪」だと蔑む泥努にとって、「残ちゃん」は姉のしのぶと同様に信じられる存在だったと考えられるのだ。結局再会には90年近くかかることになったのだが、その原因も泥努が「時の廊下」を繋いだからであり、その「時の廊下」は「泥努の「想い」の強い時間から今に繋がっている」(第二十五巻)とのことである。どっちにしろ重いなオイ

と、今回は久々に双亡亭考察、という名の泥努と残花少尉の関係についての考察をしてみた。凧葉や紅との関係とはまた違った幼馴染同士の関係性はなかなか興味深いものがあり、読み返すといろいろ発見がある。頻度は以前より減ると思うが、これからもちょくちょくやっていきたい。

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