月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

リーザの指潰し考

カラマーゾフの兄弟』の主人公、アリョーシャの幼馴染である少女、リーズ。前半は『リーズ』表記だが後半になるとどういうわけか『リーザ』表記になる。小児麻痺で足が悪く、いつも車椅子に乗っているこの14歳の少女は作中で『小悪魔』と言われている。
理由はいろいろあるが、アリョーシャと結婚の約束をしておいて婚約を解消したり、召使の女中を平手打ちにしたり……といった行為もそうだが、アリョーシャに対して言い放った言葉の数々だろう。主なセリフをいくつか抜粋してみる。

「あたし、いつも家に火をつけてみたいと思っているのよ。よく想像するわ、こっそり忍びよって、火をつけるの。ここはどうしても、こっそりでなければだめね。みんなが消しにかかるけど、家は燃えさかるばかり。あたしは知っているのに、黙っているの。ああ、ばからしい! それに、なんて退屈なのかしら!」(第11編3)

 また、

 「あたし、ある本で、どこかの裁判のことを読んだのよ。ユダヤ人が四歳の男の子を、最初まず両手の指を全部斬りおとして、それから壁にはりつけにしたんですって。釘で打ちつけて、はりつけにしたのね。そのあと法廷で、子供はすぐに死んだ、四時間後に、と陳述しているのよ。これでもすぐにですって! その子供が呻きつづけて、唸りつづけている間、ユダヤ人は突っ立って、見とれていたそうよ。すてきだわ!」
「すてき?」
「すてきよ。あたし時々、その子をはりつけにしたのはあたし自身なんだって考えてみるの。子供がぶらさがって呻いているのに、あたしはその正面に坐って、パイナップルの砂糖漬けを食べるんだわ。あたし、パイナップルの砂糖漬けが大好きなんですもの。あなたも好き?」

そしてとどめはアリョーシャにイワンへの手紙を渡すように言い、彼を部屋から追い出したあとの、このシーンだ。

一方リーザは、アリョーシャが遠ざかるいなや、すぐに掛け金をはずして、ドアをほんの少し開け、その隙間に指を一本はさむと、ぴしゃりとドアを閉めて、力任せに指を押しつぶした。十秒ほどして手をぬくと、静かにゆっくりと車椅子に戻り、身体をまっすぐ起したまま坐って、くろずんだ指と、爪の下からあふれでる血とを、食い入るように眺めはじめた。指がふるえていた。彼女は早口につぶやいた。
「恥知らず、恥知らず、恥知らず!」

 これらだけを見てリーズを『ヤンデレ』あるいは『メンヘラ』という属性に当てはめるのは簡単だろう。しかし本当に彼女は『ヤンデレ』『メンヘラ』というだけの存在なのだろうか。私にはどうにもそうは思えない。
というのも、この二か月前「垢すりへちま」事件の被害者であるスネギリョフのもとにカテリーナからの二百ルーブルを渡すことに失敗したアリョーシャがホフラコワ夫人のもとを訪れた時、リーズのことをこう言ったからである。

「あなたは幼い少女のように笑ってらっしゃるけど、心の中では殉教者のような考え方をしてらっしゃるんだ……」(第5編1)

アリョーシャがリーズを『殉教者』と言った理由、それはアリョーシャが二百ルーブルを拒絶したスネギリョフの心中を読み取り、次は必ず受け取るだろうと語ったのを受けてのリーザの言葉だった。

「……あのね、アリョーシャ、今のあなたたちの、いえ、つまりあなたの……いいやえ、やっぱりあたしたちのと言ったほうがいいけど、そういう考え方に、その不幸な人に対する軽蔑は含まれていないかしら……つまり、あたしたちが今、まるで上から見下すみたいに、その人の心を分析していることに? お金を受け取るに違いないなんて、今あれほど断定的に決めてかかったことに、ねえ?」(同)

 もちろんアリョーシャにはスネギリョフに対する軽蔑などないのだが、それはさておき、リーズのこの言葉を受けて、アリョーシャは彼女を『殉教者的』と言うのだ。

「ええ、リーズ、さっきあなたは質問なさったでしょう、こんな風に人の心を解剖しているのは、その不幸は人に対する軽蔑があるんじゃないかって。あの質問はまさに殉教者的なんですよ……だってそうでしょう、どうもうまく表現できないけれど、ああいう質問のうかぶ人は、自分も苦しむことを知っている人ですよ。あなたはその肘掛椅子に坐ったまま。今だっていろいろなことを考えぬいているにちがいないんです」(同)

ちなみにリーズは、母であるホフラコワ夫人のからスネギリョフとイリューシャの件を聞いていたのだが、彼女はそれを聞いて「泣いてしまった」のだという。更に、アリョーシャがスネギリョフにお金を早生なかったと聞いたときは、感情を抑えきれずにこう叫んだ。

「それじゃお金を渡さずに、そのまま逃げ去らせてしまったわけね! まあ、せめてあとを追って、追いつくなりなさればよかったのに……」

アリョーシャの返答は「いえ、リーズ、追わなくてかえってよかったんです」だった。リーズは更に言う。

「どうしてよかったの、どこが良かったのかしら? それじゃその人たち、パンも買えなくて、死んでしまうじゃなの!」

リーズの反応は、まさに『不幸な人』であるスネギリョフやイリューシャたちのことを考えてのことだった。アリョーシャが『殉教者的』と言ったのも頷けるだろう。

『殉教者』リーズと『小悪魔』リーザ。いったいどちらが本当の彼女なのか。それを考察するために、さきほどの『パイナップルの砂糖漬け』の話に戻ってみる。

「ねえ、あたしこのユダヤ人の話を読んだあと、夜どおし涙を流してふるえていたわ。小さな子供が泣き叫んで呻いているのを想像しながら、(だって、四歳の子供ならわかるはずよ)、一方では砂糖漬けのことが頭から去らないのよ」(第11編3)

パイナップルの砂糖漬けの話をする一方で、小さな子供のことを想像して涙するリーザ。単に情緒不安定になっているだけのようにも見えるが、私は彼女が『肯定』と『否定』の間で引き裂かれ、分裂してしまっているからだと思う。

リーザの分裂は、これだけではない。先にリーザが召使を平手打ちしたことに触れたが、これについてのホフラコワ夫人の説明がある。

「ところが突然、今朝リーズが目をさますなり、ユーリヤに腹を立てて、どうでしょう、顔に平手打ちを食らわせたじゃございませんか。あたくしだって小間使いたちには丁寧な言葉を使うようにしているというのに、滅相もないことですわ。そうして一時間後にはあのこはだしぬけにユーリヤを抱きしめて、足に接吻するんだそうですの」(第11編2)

リーザはおそらく、フョードル殺害事件以降も『肘掛椅子に坐ったまま』『殉教者的に』『いろいろなことを考えぬいて』いたのだろう。しかし様々なもの、特に『人間は犯罪が好き』『みんなは父親殺しという点が気に入っている』という、いわば人間の悪魔的な部分に触れていくうちに、まだ14歳の少女でしかないリーザの心は『肯定』と『否定』の間で引き裂かれていったのではないか。これは信と不信の間を行ったり来たりしているイワンにも通じるものであり、だからこそ彼女はイワンに手紙を出したのではないか。

「ねえ、アリョーシャ、あたし、ほんとは……アリョーシャ、あたしを救ってちょうだい!」(第11編2)

『小悪魔』でも『殉教者』でもない、肯定と否定の間に心を引き裂かれ、分裂した14歳の少女の心の叫びだと思う。

この後彼女はアリョーシャにイワンへの手紙を必ず渡しように言い、彼を追い出したのちに、自分の指をつぶす。「恥知らず、恥知らず、恥知らず!」と早口で呟いた。

そういうわけで、彼女の指潰しに対する私の解釈は「自分自身を罰したかった」である。家に火をつけたい自分、パイナップルの砂糖漬けが頭から離れない自分、神さまの悪口を言い、悪魔の夢を見る自分――リーザはそんな自分を「汚らわし」く思い、苦しみ、「自分自身を台無しにしたい」(=自分で自分を苦しめて罰したい)と願っていたのではないか。イワンを呼び出したのも彼から『軽蔑』という名の裁きないし罰を与えられたいと考えたからかもしれない。イワンが人間を信じていないのは。人間は悪魔的であり、弱くて愚かだという考えが起因しているからだ(このイワンの人間観についてはまた別の機会に……)

 果たしてこのリーザの『分裂』がアリョーシャとの面会によって解決したのかはわからないが、実はエピローグでイリューシャの葬儀の日の早朝、リーザは彼のために花を贈っていた。ホフラコワ夫人からイリューシャとスネギリョフの話を聞かされ、涙した少女は『肯定』と『否定』の間に引き裂かれた後も変わっていなかったのだ。『小悪魔』と呼ばれた少女は、実は誰よりも純真な心を持っているのではないか。改めて私はそんなことを思った。