月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

何故手帳が続かないのか

私は毎年手帳を買っている。
しかしそれを一年間使い続けられたことは実を言うと1回しかない。
あとは長くて半年、短いと3か月ぐらいで使うのをやめてしまう。
それは何故なのか、ということを自分なりに分析して、記事を書いていきたい。同じ悩みを持つ人たちへの手助けになれば幸いである(そんなに大げさなものか)。

手帳が続かない理由として、よく挙げられるのが『サイズが合ってない』『フォーマットが自分に合っていない』なのがある。なので自分のライフスタイルや仕事内容に合った手帳選びが重要になってくるのだが、実際のところ100%自分に合った手帳というものは存在しないのが現状だ。しかし結局のところ私の場合は『飽き性』の一言に尽きる。
飽き性の人間にとっては、同じ手帳を一年間使い続けるというのはかなり苦行である。最初の3か月ぐらいは楽しくても、そのうちこれを一年間使い続けないといけないのかと途方に暮れる。また、たいてい一年縛りなので、手帳のすべてのページを埋めるのに一年かけないといけないという謎のプレッシャーも感じ始める。その分一年使い続けられた時には達成感を味わえるのだが、結局その『達成感』を味わえたのは一回きりだった。二年目以降は続かなかったのである。
だったら手帳を乗り換えてもいいじゃないかという意見もあるが、これはあんまり根本的な解決になっていないと思う。というのも、手帳を途中で何度も変えたところで、中途半端に放置された手帳が増えるだけだからだ。手帳は使わなければわからない、だから手帳が合わないと思ったどんどん買い替えて最終的に自分に合ったものを使えばいいという意見もある。しかし手帳を買うのには当然ながらお金がかかる。よほど金銭的に余裕がない限り、手帳選びにリソースを割くことは難しいだろう。また手帳にお金を使える余裕があったところで、買い替えられ、白紙だらけになった手帳を見て罪悪感を覚えて「自分は何てダメなやつなんだ」という自己嫌悪に陥ってしまうこともある(私だ)。「この手帳は私には合わない。もっと私に会った手帳があるはずだ」という「自分に合った手帳探し」は際限なく続くことになるのである。そしてお金がどんどん減っていく……。

ではどうすればいいのか。私はこれを考えるにあたって、過去に半年~一年使い続けられた手帳を引っ張り出して、何故このときは比較的長く続けられたのかという検証を行うことにした。そうしてある共通点を見出すことになった。いずれも週間レフトの手帳だったのだが、レフトタイプが自分に合っていたからというわけでもない。もっと大きな理由があった。

それは、既存の手帳を自分でカスタマイズしていたことである。

手帳売り場に行けば、手帳をあれこれカスタマイズして使いやすくするようなグッズが手帳と一緒に売られていたりする。この『カスタマイズ』はかなり重要で、自分の手によって既存の手帳にアイテムを加えることで愛着がより湧いてくるという効果がある。私が比較的長く使い続けられた手帳というのは、そんな『カスタマイズ』をしている場合が多かった。それというのは例えば既存のカバーを外して使いやすいカバーを取り付ける、ベルトシールやペンホルダーを取り付ける、収納ポケットを付けて収納を増やす、などである。こうしてカスタマイズした手帳は、肌身離さず持ち歩きたくなる。何なら用がなくても開きたくなる。つまり手帳そのもの愛着がわいてきて、愛用の一冊に昇華されていくのである。

だが、手帳そのものよりももっとカスタマイズ性があるものがある。それはノートだ。ノートとペン一本で始められるバレットジャーナルというノート術があるが、検索してみると各々いろいろとフォーマットをカスタマイズして自由に使っている。以前の記事でも述べたが、ノートは手帳に比べると自由度が段違いだ。ノートにカレンダーページを作ってそれでスケジュールやタスクを管理するのも手なのである。カレンダーを書くのがめんどくさいという人は、今はノートのページに貼れるカレンダーシールというものも売っている。これをノートに貼ればある程度のスケジュール管理は可能になる。
それに、ノートというのは一年間使い続ける必要がない。ページ数や書く量にもよるが、短ければ数か月で新しいノートに切り替えることができる。つまりそろそろこのノートに飽きてきたなというころ合いでノートを使い終わることが可能なのだ。次は同じノートを使うもよし、違うノートを試してみるもよしである。

というわけで自分なりの手帳が続かない理由とそれに対する解決法をまとめてみた。私自身が手帳をうまく使えない人間なので偉そうなことを言えた義理ではないのだが、そういえば失敗した理由を顧みることはあってもうまくいった理由を顧みることってめったにないなということにふと気づく。上手くいかないときは『上手くいったとき』を思い浮かべ、何故その時はうまくいったのかを考えてみるのもいいかもしれない(なんか自己啓発書っぽい締めになってしまった)。