月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

自負心の悪魔

ここ一か月ぐらいうだる暑さと仕事のストレスと自身の体調不良でブログを更新する気力をすっかり無くしていた。
そして先延ばしにすればするほどやる気と言うものが削がれていき、次第に面倒になっていく始末である。考察ネタもいろいろと書きたかったのだが、記事にすることができなくなっていた。
別に仕事で書いているわけではないし内容など大したことない、ただの個人の自己満足趣味ブログなのだが『鉄は熱いうちに打て』とはその通りだとつくづく思う。『思い立ったら吉日』ともいう。私みたいになんでもずるずる先延ばししたがる人間はやっぱり駄目なのかもしれない。

と、そんなことを考えていて思い出したのが、これである。

倦むことなく実行するがよい。夜、眠りに入ろうとして、『やるべきことを果たしていなかった』と思いだしたなら、すぐに起きて実行せよ。(『カラマーゾフの兄弟』第6編3H)

……と、言うのは簡単だが、実際はかなり難しいことである。例えばこんな風に。

 さながら喜びに似た気持が彼の心に湧いた。彼は自己の内部に限りない意志の堅固さを感じた。最近なんなにひどく自分を苦しめていた迷いも、いよいよこれで終わりなのだ! 決意はできたし『もう変わることはない』―—幸福な気持ちで彼は思った。(第10編8)

スメルジャコフとの三度目の対面を終えたばかりのイワンである。彼は翌日行われるミーチャの裁判で何もかも証言することを心に決めていた。しかし、

わが家に帰りつくと、彼は突然、唐突な疑問をいだいて立ち止まった。『今すぐ、これから検事のところへ行って、すべてを申し立てる必要はないだろうか?』彼はふたたびわが家の向きを変えて、この疑問を解決した。『明日、全部ひとまとめにしよう!』彼は心につぶやいた。と、奇妙なことに、ほとんどすべての喜びが、自分に対する満足が、一瞬のうちに消え去った。(同)

この少し前に、スメルジャコフからはこんなことを言われている。

「そんなはずはありません。あなたはとても賢いお方ですからね。お金が好きだし。わたしにはわかっています。それにとてもプライドが高いから、名誉もお好きだし、女性の美しさをこよなく愛していらっしゃる。しかし、何にもまして、平和な満ち足りた生活をしたい、そしてだれにも頭を下げたくない、これがいちばんの望みなんです。そんなあなたが、法廷でそれほどの恥をひっかぶって、永久に人生を台無しにするなんて気を起すはずがありませんよ。あなたは大旦那さまそっくりだ。ご兄弟の中でいちばん大旦那さまに似てきましたね、心まで同じですよ」

イワンには酷だが、彼の『欠点』かなり凝縮されていると思う。自分は常に安全地帯にいたい、恥をかきたくない、失敗したくない、こっちが損をするようなことは一切したくない――という安定化志向に取り付かれていると言ってもいいかもしれない。『安全地帯』を抜けたくない、或いは抜けることを恐れているのがイワンといえるだろう。だからこそ彼は検事のところへ行かず『明日、ひとまとめにしよう』と行動を『先延ばし』してしまったのである。

ここ、もしイワンが取って返して検事のところに言っていたら何か変わっていただろうか? ミーチャの有罪自体は変わらない、イワンの言うことなど信じてくれない。しかしこの直後に悪魔の幻覚によって苦しめられることもなかったのではないかとも思う。

『君が善を信じたのは結構なことさ。話を信じてもらえなくたってかまわない。俺は主義のために行くんだから、というわけか。しかし、君だってフョードルと同じ子豚じゃないか、君にとって善が何だというんだ? 君の犠牲が何の役にも立たないとしたら、いったい何のためにのこのこ出頭するんだね? ほかでもない、何のために行くのか、君自身もわからないからさ! ああ、何のために行くのか自分にわかるなら、君はどんな値でも払うだろうにね! まるで君は決心したみたいだな? まだ決心していないくせに。君は夜どおし坐って、行こうか行くまいかと、迷い続けることだろうよ。でも、とにかく君はいくだろうし、自分が行くってことも知っている。君がどう決心しようと、その決心が君の遺志によるものじゃないってことも、自分で承知しているはずだよ。君が行くのは、行かずにいる勇気がないからさ。なぜ勇気が出ないか、これは自分で推察するんだね。これは君に与えられた謎だよ!』(第11編10)

このイワンと『悪魔』の『対決』で思い出されるのが、自身をこっけいだという少年コーリャに対するアリョーシャの台詞である。

「そんなことを考えるのはおやめなさい、全然考えないことです!」アリョーシャが叫んだ。「それに、こっけいがどうだというんですか? 人間なんて、いったい何度こっけいになったり、こっけいに見えたりするか、わからないんですよ。それなのに、この節では才能をそなえたほとんどすべての人が、こっけいな存在になることをひどく恐れて、そのために不幸でいるんです。(中略)この節では子供にひとしい人たちまで、その問題で悩みはじめてますよ。ほとんど狂気の沙汰ですね。悪魔がそうした自負心の形を借りて、あらゆる世代に入りこんだんです、まさしく悪魔がね」(第10編6)

 アリョーシャの言葉を借りれば、イワンの『自負心』は裁判にで証言することによって『こっけいに見える』ことを恐れていると言えるだろう。だからこそ彼は『だれにも頭を下げたくない』のだ。その『こっけいに見える』ことへの『恐れ』が『自負心』の形を借りて悪魔の幻覚を生み出していると考えられる。

そしてこの『自負心』の『悪魔』に取り付かれた人物が、もう一人いる。若き日のゾシマ長老が出会った『神秘的な客』である。

「それに、そんな必要があるでしょうか?」彼は叫んだ。「必要ですかね? だって、だれひとり有罪になったわけじゃないし、わたしの代りに流刑になった者もいないんですよ。それに、わたしの話なぞ全然信じてもらえませんよ。わたしのどんな証拠だって信じてくれるものですか。それでも告白する必要があるでしょうか、必要なんですか? 流した血にたいしてわたしはこれからも一生苦しむ覚悟です、ただし妻や子供たちにショックを与えたくないのですよ。妻子を道連れにするのが、果たして正しいことでしょうか? われわれは間違ってやしませんか? それならどこに審理があるのです? それに世間の人たちにその真理がわかるでしょうか、その真理を正しく評価し、尊敬してくれるでしょうか?」
『ああ!』わたしはひそかに思った。『こんな瞬間に、まだ世間の尊敬などと考えているのだ!』(第6編2D)

 『神秘的な客』は最終的に『悪魔』に打ち勝った。イワンは発狂したが、彼がいずれ『復活』することが示唆されている。

「なあ、イワンはだれよりも偉くなるぜ。生きていなけりゃいけないのは、あいつだよ、俺たちじゃない。あいつはきっと快くなるとも」(エピローグ)

『第二の小説』では『自負心』の形を借りた『悪魔』に打ち勝ち『復活』をはたしたイワンがいたかもしれない。

……というかイワン考察ネタにするつもりはなかったんだけどな。まあいいや。