月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

推しフィルター

もうずーっとブログを更新していなかった。その理由は実のところとある漫画にハマってしまったからである。サンデーで連載しており現在は完結した『双亡亭壊すべし』という漫画なのだが気が付けば単行本は1巻から揃え、サンデー本誌で展開を追いかけて全巻揃えたという状況である。双亡亭についての考察や感想も書いてみたいのだが絶対推しキャラに偏ったものになりかねないのでこのブログではやらない。そんなわけで、読書も進まなければ当ブログのメイン(多分)であるカラマーゾフ考察も全くしてないという状況である。しかしブログを書いても書かなくても文章力は大して変わらない。なんでや。

 

と前置きはさておいて。私はしばらく作品やキャラクターの考察から離れていた。しかし当ブログの場合は考察と呼べるものかどうかは少し怪しい。はっきり言って妄想に近い。何でこんな現象起きてしまうのかというと、私の読解力が低いというのもあるが、どうも『推しフィルター』というものがかかってしまうからだ。
この『推しフィルター』というのもは『推しの都合のいいように』物語や書かれている描写を解釈してしまうというものである。もっと言うと『自分が考えた理想の『推し』』であって作品で描写されている『推し』とは別物になってしまっていることもある。それは『推し』の解釈だけでなく『推し』の周りにいるキャラクター、ひいては作品全体の解釈を捻じ曲げてしまうことにもつながる。言うなれば少し異性が自分に対して声をかけただけで「あの人はわたしのことが好きなのかも…」と勘違いするようなものだ(少し違うか)。そして「推し」に都合のいい展開だったり自分の解釈通りのことを「推しが」がやらないと「公式と解釈違いを起す」というトンデモ現象が湧き起るのである。

「推し」を贔屓するというのは当たり前のことである。「推しフィルター」によって「物語」を都合よく捻じ曲げるのも受け手の自由ではあるだろう。しかしそれはあくまで自分個人の解釈に留めるのであって「原作者はこう考えているはず!」など「公式面」して思いあがってはいけないのである。

という自戒を込めて久々のブログ更新を終える。