月宮の日記

読んだ本の解釈とか手帳とかだらだらと自分の考えを好き勝手語っていくだけのブログ。作品のネタバレも普通にあるので注意。※2024/2/29 更新再開

「私らしく」って何ですか

アクセス解析を見たら前日のアクセスが急に伸びていてびっくりした。そのおかげでブログ開設から1年あまりで1000PVを達成してしまった。消そうかどうか迷ったブログではあるが、これからもマイペースに亀更新を続けていきたいと思う。
今回は下書きに書いたものの結局投稿せずに放置していた記事を見つけたのでこれを上げてみたいと思う。

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最近、というかここ数年ぐらいよく言葉がある。

「私らしく」
「自分らしさ」

これらの言葉が枕詞になって「働く」「生きる」といったキーワードが出てくる。

だが「私らしく」ないし「自分らしさ」という言葉を聞くたびに、私はどうにもぬぐえない違和感を覚えるようになってきた。

抑圧された個、会社の上司や周囲に振りまわされる自分、親の言うことを聞いて生きてきた私……みたいな人たちが、誰にも知らばれずに自分のやりたいこと、好きなことだけをやって生きていく。そんな生き方が昨今の自己啓発本やビジネス本でも推奨されている。「あなたはあなたのままでいい」「そのままのあなたでいればいい」みたいな「ありのままの自分を認めよう」というのもある。それはそれで確かにもっともな話ではある。好きなこと、やりたいことをやるのは自由だ。『ありのままの自分を認める』ことも大切である。

だが注意してほしいことがある。

それは、あなたの身の回りの人間がそうであっても赦せるか?である。

多くの自己啓発書のばあい、読み手である「あなた」に向けられて書かれていることが多い。だがその「あなた」とは「あなた」という「個」ではなく「本を手に取る不特定多数の読者」に向けられたものだ。それも「顔が見える読み手一人一人」ではなく「顔が見えない読者全体」である。

人々をそのあるがままの姿で愛するということは、できないことだよ。しかし、しなければならないことだ。だから、自分の気持ちを殺して、鼻をつまみ、目をつぶって(これが特に必要なのだが)人々に善行してやることだ。人々から悪いことをされても、できるだけ腹をたてずに『彼も人間なのだ』ということを思い出してこらえることだよ」(『未成年』)

 「あるがままを愛する」ということは「あるがままを認める」ということである。『自分を認めてあげれば他人を認めてあげられる』『自分に優しくできれば、他人にも優しくできる』とはいうが実際はどうだろうか。「自分には優しいけれど他人には優しくない」「自分の欠点には甘いけれど他人の欠点は許さない」「自分の自由と権利は主張するが相手の自由と権利は認めない」と言う人のほうが多いのではないだろうか。同様に「私らしく」「自分らしく」を求める人間が他人の「私らしく」「自分らしく」を認められるかと言われるとそうではない場合のほうが多いのではないか。実際私自身も狭量人間ではあるので、そのあたりのダブルスタンダードはかなりある。

何故こんなことを考えるかといえば私自身が『不寛容』な人間だからである。例えば人手がなくて忙しいさなかに「私は私のやりたいことがあるから仕事辞めます」なんて同僚から言われたら「そうか、頑張ってね」と口では言いつつ「ふざけんなヴォケ!」と内心毒づくであろうことが安易に想像できるからである(もっとも人生はその人のものなので私には選択を止める権利などありはしない)だから「私らしく」「自分らしく」を求めるのならば、他人――それも自分の近くにいる人間の「私らしく」「自分らしく」を認めなければならないだろう。

「罪の力は強い、不信心は強力だ、猥雑な環境の力は恐ろしい。それなのにわれわれは一人ぼっちで無力なので、猥雑な環境がわれわれの邪魔をし、善行をまっとうさせてくれない」などと言ってはならない。子らよ、こんな憂鬱は避けるがよい! この場合、救いは一つである。自己を抑えて、人々のいっさいの罪の責任者と見なすことだ。友よ、実際もそのとおりなのであり、誠実にすべての人すべてのものに対する責任者と自己をみなすやいなや、とたんに本当にそのとおりであり、自分がすべての人すべてのものにたいして罪ある身であることに気づくであろう。ところが、自己の怠惰と無力を他人に転嫁すれば、結局はサタンの傲慢さに加担して、神に不平を言うことになるのだ。(『カラマーゾフの兄弟』第6編3G))

 『神』の部分を国や社会、会社、親、学校といったものに変えてみるといいかもしれない。
とはいえ人は不平不満を述べなければやっていけない、でなければストレスで圧し潰されてしまう、というのはある。なんでも自罰的になって正気でいられる人間などおそらく少ないだろうし、自分自身の意思ではどうにもならないこともたくさんある。これを『理不尽』言う。だから例えばイワンのように『神が作った世界など認めない』のもわかるし『神がいなければすべてが許される』思想にも走りたがるものなのだ。
『私らしく』『自分らしく』というのは『自分の弱さ、欠点、愚かさ、醜さ』というものを認めてからまず始まるかもしれない。

…うん、久々に手帳ネタ以外を書いたけれどこれボツにしてもよかったな。